私は1年間、学校の図書室の司書として働いていた。本が好きで、教育関係の仕事がしたかったため、図書館司書の資格を通信大学で取得した。そして、たまたま運良く近くで学校司書の募集があったため、思い切って受けてみた。
子供と接することが楽しいし、憧れの仕事に就けたと思っていたのに、それが地獄の日々の始まりになるなんて、その頃は予想もできなかった。

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最初は、仕事も楽しく順調にやれていると思っていた。
上司は、私の母親よりも少し年上くらいの人だった。優しく教えてくれるし、10年近く司書をしているベテランの人から教えてもらえるという恵まれた環境をありがたいと思っていた。
しかし、ある日、昼の休憩中に上司から「学生時代にマネージャーや接客業をやってたって聞いたから、もっと積極的な子だと思ってた」と言われてしまった。その発言を聞いた途端、え、私ってそんな風に思われてたの?とショックを受けた。

確かに、少し口下手だし、不器用で人から誤解されやすい所もある。ベテランの上司からしたら自分なんてまだまだだろう。でも、自分なりに子供たちに対して優しいお姉さんになれるよう努力してきたつもりだった。
その後も、「閉じこもってないで、もっと出てきなさい」と言われた。そんなこと面と向かって言うかなと上司に対して不信感が高まった。そのせいで人にマネージャーやってたと言えなくなってしまった。

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その事件の後から、なんとなく上司の発言がいちいち気に障るようになってしまった。素直に言うことを聞こうと思ってもつい感情的になってしまったり、些細なことで言い合いになることもあった。

「雑談ができないから、コミュニケーション能力がない子」「話しかけても『はい』とか『そうですね』しか返さない」「あなたは発達障害かもしれないから病院に行ったほうがいい」とか、今思い出すとかなりめちゃくちゃなことを言われた。それでも、上司が悪い訳じゃなくて、ただ私とは考えが合わないだけと言い聞かせながら頑張ってきた。

そんなことが続いて、体調を崩し、病院に行くことも増えた。自分からも歩み寄ろうとして、なるべく会話を繋げられるように話したり、自分から話題を振ってみたりしてみた。しかし、上司には満足できなかったようで、うまくいかなかった。
ついに私は心身共に限界を迎え、精神科を受診した。医者から「適応障害」と診断された。そして仕事を3ヶ月休んだ後、退職した。

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今は別の仕事をしているが、今だに当時のことを思い出しては、もう少しうまくやっていく方法があったのではないかと考えてしまう。もっとうまく気持ちを伝えられたら、感情的にならなければ……と後悔ばかりしている。
当時を振り返ると、私も反抗的な態度をとってしまうことも多くて、冷静に考えたら上司に歯向かうヤバい部下だったと思う。でも、自分の納得いかないことに対しては、立ち向かわないと気が済まない性分なのだ。

私は、雑談は話したい時にすればいいという考えだったから、根本的に上司と分かり合えなかったのだろう。私は褒められたいとか認められたいとかじゃなくて、ただお互い気分よく仕事がしたかっただけ。
でも、どれだけ歩み寄ろうとしても分かり合えない人はいるもの。だから適度に距離をとって接するのがお互いのためにいい。これがこの仕事で得たものだ。