大学で受けた、とある小説に関する講義で講師が言った。
「主人公は、この後、自分の好きなことを目まぐるしい日常に飲まれて次第に忘れていく、ということが、この終わり方で示唆されています」
私にはその考察がピンとこなかった。どうしてもそのように思えなかったのだ。

相手は大学教授で私はただの学生、もちろんそっちの解釈の方が正しいのかもしれない。それでも。私はそうは思わない、というか思いたくなかった。
その講義から数年経った今ではより一層、あの考察は違うと声を大にして言いたい。どんなに忙しくても、どんなに生活が荒れても、好きなことっていつまでも好きだし、自分のことを支えてくれるものだと思うからだ。

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中学生くらいの頃から、私の生活の傍らにはずっととあるバンドの曲たちがいた。受験勉強に追われている時も、進路に対して不安を感じた時も、彼らの曲にいつも救われていた。
ただ「好き」という言葉だけでは片付けられないような大きな感情。これがネット用語でいう「ドデカ感情」なのか?と最近になって思う。

大学院に入って、修士論文を執筆していた頃。研究者としての未来も見えず、同時並行で就職活動をしていて、普段の授業とその課題、エントリーシート記入、面接、修士論文の資料集めなどと色々なものに追われていた。
私みたいな特筆すべき点もない人間、ましてや文系の大学院生なんて就活は難しいのか?と思う日々。数々のお祈りメールが届き、修士論文の進捗も全くない。このままでは就職どころか修了も危うい。
あの頃の私は毎日未来のことを考えては焦っていて、未来はどんなに目を凝らしても真っ暗だと感じていた。余裕なんて欠片もなかった。なんならもう消えてしまえば楽になるかもしれないと考えたことすらある。

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そんな時だった。疲れ切った帰り道、何も考えられないながらも本能的に耳にイヤホンを押し込み、彼らの曲を聴いた。
柔らかい歌声、爽やかなメロディ、優しい歌詞が、耳から入ってきて心をぎゅーっと抱きしめた、そんな感覚がした。気づけば目から涙が込み上げてきて、歩きながら泣きじゃくっていた。
泣いたのは、現状が辛いからでも、消えたいからでもない。この人たちの曲があれば、私は大丈夫でいられると心の底から思ったからだ。
大丈夫、私はまだなんとかなる。
そう前を向いたあの夜のことを、私は今でも鮮明に覚えている。

あの夜の後、みちみちのスケジュールにねじ込むように行った彼らのライブのMCで「俺らの曲はどんなことがあってもお前らのそばにいるから」と言っていた。
本当にその通りだ。彼らの曲はずっとそばにいてくれた。
就職活動もなんとか自分の働きたいジャンルの企業に引っかかり、論文も無事に書き切って修了することができたのは、結構本気で、彼らの曲がそばにあったおかげだと私は思っている。

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今でも仕事が忙しくて心を無くしそうになったり、失敗をして凹んだりしている時は、彼らの音楽をエンドレスで流す。そうしていると、あの夜みたいに不思議と元気がもらえるのだ。
いつだって彼らの曲がそばにいて、彼らが背中を押してくれている。私はまだまだ大丈夫。
この先どんなことがあっても、絶対に彼らの曲を、大丈夫だと思えたあの夜のことを私は忘れない。きっと、あの講義で受けた小説の主人公だってそうだと思う。
そうやって、好きなことを忘れないままで、好きなことに支えられて、これがあるなら私は大丈夫だと笑って生きていきたい。