ある日曜日、私は朝から気分が落ち込んでいて、潰れてしまいそうだった。
何故落ち込んでいるのか、はっきりとした理由はわからなかった。

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しんどい気持ちになることは日常茶飯事だ。
きっとこの考えすぎる性格のせいだと思う。「もっと肩の力を抜いて生きなよ。考えすぎだよ」とよく言われるが、私が一番そうしたいと思っている。
というか、その人が肩に力をこめまくって考えすぎて生きる方法がわからないように、私だってこれが当たり前で変え方がわからないのだ。

今回もこの苦しい気持ちにちゃんと向き合って、気持ちの整理をすればわかるんだろうけど、その時はそれをする元気すらなかった。
どちらかというと、蓋をしておきたかった。
人に会いたい。
人と会って、何気ない会話をして、そっちに集中したい。あわよくばこの気持ちを吐き出したい。
ただ私は、非常に外面が良く、誰かに会うとこのしんどい気持ちを消して馬鹿みたいにニコニコして冗談を言ってしまう。
そんな自分に救われるときもあれば、首を絞められるときもある。
今回は完全に後者だった。

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そんな時、1人の友人の顔が浮かんだ。
会社を辞めて、学校に通いなおすことにした時、同じクラスになった2つ年上の人だ。
話せば面白いが、普段は物静かで、特に誰とも群れていない。
私が数人の友人と、休み時間や放課後に年甲斐もなくゲラゲラとふざけ倒している時、彼女は1人で座っている。

そんな彼女と、偶然話す機会があった。
意外にも、かなり趣味が合った。そして多分、肩に力をこめまくって考えすぎて生きてるタイプの人だった。
語り合いたい。人に言ったらドン引きされるに違いない、この拗れ散らかした性格を共有したい。私は、彼女にすっかり惹かれていった。
なのに、この外面が邪魔をして、なかなか彼女とうまくフィットした会話ができない日々が続いた。
きっと休日は大人数でBBQやら飲み会やらをしていると思われているのだろう。
違うんです!私、孤独は嫌いだけど1人になるのが大好きな根暗なんです……。

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とにかく、その日は彼女に会って本当の根暗な自分を見てほしかった。
突然連絡したにも関わらず、彼女は二つ返事で「会いましょう!」と言ってくれた。
川沿いのカフェで、川に向かって2人で並んでコーヒーを飲みながら、私は自分のあまりにも暗い性根について聞いてもらった。
かなり驚かれた。

「もっと明るいタイプかと思ってました。でも凄く共感できます、私も同じです」
やはりか。そこから彼女も自分の話をしてくれた。
みんなと一緒にいたいのに、口下手な自分がそこにいていいのか考えてしまうこと、自分を好きになれないこと、でもそんな自分も嫌いじゃないこと、
でもやっぱり変わりたいから、努力をしているということ。
痛いほどよくわかる言葉と、わからない言葉とあって、お互いわからないところは生い立ちや幼少の経験が影響していると知った。

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日が暮れるまで、川を見ながら語り合った。まるで違う場所で育ってきた自分の分身と、人生の答え合わせをしているようだった。
ただ、私と彼女の徹底的な違いは、しんどいことを打破するために行動しているかどうかだった。
彼女はしている。私はしていない。
弱々しくはにかむ彼女は、苦しいほどに優しくて、一生懸命頑張っている。
みんな自分と戦っている。寂しい時は誰かと手を取り合って、プライドを捨てて素直に自分をさらけ出せばいい。

落ち込んで潰れそうだった私は、川の流れの大らかさと静かに木を揺らす春の風に撫でられて、すっかり安らいでいた。
魚が連続してボチャンボチャンと跳ねて、私たちはそれを笑った。
私は、きっとこの時を忘れないだろうな、と思った。