息子は2ヶ月半となり、目を合わせてニコッと笑ったり、「あー」「うー」などと話すようになった。たった2ヶ月半でこんなにも変化があり、驚いている。
泣くにもバリエーションが増えて、「ぎゃあ~」と要求する強めの泣きや、「うわーん」「みゃあ」と甘えたような泣き方など、声量もさまざまで毎日の変化に驚いている。

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私が小さかった頃もこんな毎日だったのかと想像してみる。
私は3姉妹の末っ子で、私が産まれた頃には姉は8歳と5歳だった。とても慌ただしい毎日を母は過ごしていたと思う。それなのに記憶の中の母はイライラせず、いつものんびりと相手をしてくれていた。「早くしなさい」などの焦らせる言葉や「なんで出来ないの」など言われた記憶がない。
今自分が母になってみて思うことは、私の母のようになれるかなと不安であることだ。

息子がお腹にいるときには、無事に健康に産まれてきてくれればそれでいいと思っていた。
だが、だんだんと欲が出てくる。早く泣き止んで欲しい、すんなり寝てほしい、ミルクを早く飲んでほしいなどとイライラしてしまうし、夫には八つ当たりしてしまう。
その後が罪悪感で気分が良くない。身ひとつだったものが2つになり、思うように物事が進まない。このままだと「早くして!」「なんで出来ないの?」と言ってしまう母になってしまいそうだと自己嫌悪になる。
私は人に迷惑をかけてはいけないという意識が人よりもあるようで、同居の義母と義祖母は少しの買い物や用事など子ども預けてくれていいからと言ってくれているのだが、なかなかお願いが出来ないでいる。この前も息子が大泣きしていると、義祖母が「ちょっと抱こうか?」と声を掛けてくれたのだが、「大丈夫です」と断ってしまった。

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先日少し気になることがあり、お産をした産院で診察してもらった。待合室は吹き抜けになっており、2階の新生児室から可愛い泣き声が聞こえてきた。
心の中で「あぁ、だっこしたい」と感じた。その日は久しぶりに息子と別行動となり、2時間も離れていないのに恋しくなった。息子と2人きりで部屋に籠っていると、1人になりたくなって外に出たくなるが、いざ離れるとそう感じた自分に驚いた。
きっと義母たちも同じように大変な時期を経験したからこそ、手助けしてくれるのかなと感じた。そう感じたら、お願いをするハードルが下がったように思う。

息子が褒められると、私も褒められているような気がして嬉しい。反対に息子への「泣き声が良く聞こえたわ」「かわいそうに」などと声をかけられると、もっとしっかりしなきゃと自分を追い込んでしまう言葉に変換してしまうが、それは私に言っているのではなく、息子に話しかけているだけだと迷惑をかけているわけではないと思うようになってきた。
泣き声でたまに胃が痛くなったり、近所へ迷惑ではないかと不安になる日もあるが、全員もともとは赤ちゃんだったと思ったら気が楽になってくる。
多少の迷惑をかけてもいいと、いろんな場面で忘れたくない。自分の母のような母を目指して、のびのびと息子が成長する姿を楽しみたい。