「子供は親を満足させる道具ではない。自分が幸せになるために生まれている」
私はこれからを生きる子供たちが自分の幸せを追いかけ、自由に生きていけるように、上の世代、そしてこれから親になろうとしている人たちに言いたい。
なぜなら周囲の人を満足させるために、私は自分の人生の大切な時間を使ってしまったからだ。そんな経験は他の人にはしてほしくない。
だから私はエッセイを書くことにした。

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父や母、家族が嬉しそうな顔をするのを見るのが、私は幼い頃から大好きだった。だから服装や趣味、進路や部活動などを決めるとき、いつも両親の顔色が私の判断基準となった。
自分の理想と両親の思いが乖離したことも当然あった。しかし、両親との不和と家族のカースト順位の変動は私にとって恐怖だった。だから私は両親を説得するのではなく、自分の思いに蓋をすることを選択した。

社会人になると、両親からの要望はお金を貸してほしい、家の残りのローンを払ってほしいなど……テイストが変化していった。現実的に厳しいものは断ったが、その当時の私は断ることに強い罪悪感を抱き、可能な限り要望を受け入れた。
友人に家族の関係性が異常だと指摘されたこともあった。しかし私は異常といった友人に不信感を抱き、その人との縁を切った。

そんな私に転機が訪れたのは2年前のことだった。
「デートのお金を節約したい」
彼に相談したことがきっかけで、家族にお金を貸していることが明るみになった。
彼は私に意見した。私も強く反論したが、「娘の幸せを願っている親ならお金を貸してなんて言わない。借りたとしても直ぐに返すはず」という彼の言葉で、初めて家族に違和感を覚えた。
一向にお金は返ってこないのに、母親が友人とお茶に行っていること、無理やり連れていかれた食事会で支払いをさせられたこと、彼氏とのデートの場所を指定され、できないというと憤慨されたこと、色々なことが走馬灯としてよみがえり、家族への不信感が生まれた。そして「自分の幸せを追いかけて」。彼にそういわれ、私はそれ以降、自分が心地よいことを意識して選択するようになっていった。

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家族はすぐに、私の変化に気が付いた。
思い通りに動かない娘。そうなってしまった私は家族で村八分にされるようになった。また、私をそんな風に変化させたのは彼だということになり、彼もやり玉に挙げられた。
結婚もあまり祝福はされず、母や妹が盛り上がったのは、結婚式当日、自分たちが何の衣装を着ていくかという話だけだった。

親の思いの根底には私への愛がある……と私は思っている。決して、自分を満足させるだけのために、娘をかわいがっていたのではないだろう。
実際、小学校でアトピー性皮膚炎だったことが原因でいじめられた際などは、母が表に立って戦ってくれた。父は書店に頭を下げて自分の会社の本を置かせてほしいと頼み歩き、その仕事で得たお金で私たちを東京で20年以上育ててくれた。
私はそんな親の姿も見ているから、以前友人が言った「異常」という言葉などは受け入れられなかった。異常な人たちにだって愛はあるし、その愛によって私が大きくなったのは事実だからだ。

そして今も変わらずに、私は家族を大切に思っている。私に内緒でおしゃれなカフェや鎌倉に遊びに行くし、そのくせ、ケータイ代やWi-Fi代は私に払わせる。そんな家族の姿にいら立つが、嫌いにはなれない。なぜなら一緒に時を刻んできた家族だからだ。
しかし同時に彼女たちの幸せのために、自分が不幸になる選択肢はもう選ぶつもりはない。これからは自分が幸せか、心がワクワクするかを判断軸にすると決めたからだ。

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私は自分の人生を歩むまでに27年も時間を使ってしまった。もっと早く気が付けば……今、心からそう思う。
だから、これからを生きる人たちが苦しまないようにもう一度言う。
「子供は親を満足させる道具ではない。自分が幸せになるために生まれている」と。