10年程前、山奥の小さな美術館で、私の祖母が展覧会を開いた。

母方の祖母は長年、ボタニカルアートを描いていた。ボタニカルアートとは、植物を精緻に描くアートである。祖母の絵には、身近にある野菜や花、色合いが美しい落ち葉まで様々なモチーフがあった。ゴーヤーの断面図なんてのも。
鉛筆で線を描き、絵の具で色をつける。祖母の部屋の机は、沢山の筆と色とパレットで埋まっていた。でも、少しだけ片付けられたスペースに、今描いている花がコップに生けられている。

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私が小学生の頃、一度だけ祖母にボタニカルアートを習った。
「じっと見て、その通りに描くのよ」
庭に咲いていたコスモスの花を一輪手折り、リビングのテーブルへ置いた祖母は言った。私は意気揚々と鉛筆を持ち、花をじっと見た。そして紙に描くのだが、その通りになんていくはずもなく。早々に絵のコスモスは、花びらがとっちらかった。葉っぱなんて枝分かれして細くて入り組んでいて、今どこを見ているのかも訳がわからなくなってしまう。
最初で最後の私の作品は、色を塗るところまで行かずに終わった。

高校生になった私に絵をひとつ譲る、と母を通して話がきた。聞けば、絵がたまったので展覧会を開いて、もしもお客さんが気に入ってくれたら売ってしまうのだという。その前に私と母に、好きな絵を一枚ずつプレゼントする、と言うのだ。
高校生になり部活や勉強が忙しく、祖母の家に行くのは久しぶりだった。訪れた家の和室に絵が広げられ、これから入れるのだろう額も山のように積まれていた。
作品は100点近くあった。どれも素敵だったが、1点を選ぶのは簡単だった。
ノブドウの絵。秋に祖母の家へ行くと、この絵がリビングに飾られていた。淡くもカラフルなノブドウの実が可愛くて、一番好きな絵だったから。全部の絵を一枚一枚見て、それでもやっぱりノブドウに惹かれた。
「やっぱり。それを選ぶと思った」

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展覧会は1週間ほど開催された。私は諸々の予定の折り合いがつかず、最終日にやっと見にいくことができた。
森の中にある小さな美術館だった。地元のアーティストの発表の場として親しまれているらしい。わくわくしながら扉を潜った。すると5人ほど、熱心に絵を見るお客さんがいた。祖母の絵をこんなに好いてくれるなんて、嬉しい。肝心の祖母は、館長さんとお話ししていたようだが、私と両親の姿を見てこちらへ来てくれた。
「なかなか、盛況なようですね」
父の言葉に、そうなの、と明るい声が返ってきた。聞けば、なんと絵は完売。それぞれの絵に付けられたキャプションボードにシールが貼ってあるのが売約済みの印で、展覧会が終わったら郵送するらしい。
私のノブドウと、母の選んだビオラ、そして祖母の桜。3点の非売品以外、本当に全てにシールが貼られていた。
実は、作品を買おうと思っていた。そのためにお小遣いも貯めて。孫として一番好きな作品をもらうことができたけど、祖母の絵のファンとしてもう一つくらい、欲しかったのだ。だって、どれも素敵な作品なんだもの。

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自分のものにすることは叶わなくなった。ここに飾られている絵には、きっともう二度と会えない。
時間の許す限り、ひとつひとつじっと見た。
ゴーヤーの断面図の絵を熱心に見るお客さんがいた。その人が美術館に来た日にはもうこの絵は売れてしまっていたらしい。それから毎日訪れて、目に焼き付けているのだと言う。
私も焼き付けた。そう思っていた。記憶は時と共に薄れ、今思い出せるのは特に印象的だった数点のみ。
もうこれ以上、忘れたくない。