忘れたくないこと。それは、自分との歪みに気づくということ。

新卒で就職すると最初に覚えるのは、その会社や職場のやり方や慣わしだ。必死に覚えているうちは、そういうものなのだと受け入れているが、他部署の同期や他の企業に就職した友人と話せば、自分の職場だけの文化なのだと知ることがある。
何年も勤めており、そのやり方があっていると感じている人にとっては当たり前だと思えるかも知れないが、新人にとってはやりにくいものだったりもするのだ。方法が古臭い、効率が悪いと感じることもある。

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新人は、配属されるとまず、その場所のルールを覚えなさい、と言われ、これから行っていく業務と並行して、この部署での生き方のようなものを学ぶ。マニュアルがあれば、そのマニュアルに沿って手順を確認しながら仕事を進める。上司への報告は、伝えたい事柄をまとめて順序よく説明できるようになってから話す。
最初のうちは教育係の先輩が手取り足取り教えてくれるのだが、そのときに必ず言われる事がある。それは「自分のやり方が次第に見つかってくるから、大丈夫」というフレーズだ。

数カ月後、仕事にも慣れて、マニュアルを逐一確認しなくても仕事ができるようになった。流れを覚えて、前よりも作業時間が短く仕事ができるようになったのだ。
自分なりの方法も見えてきた。自分のやりやすさも取り入れているため、マニュアルよりもほんの少し違う方法だけれど、ミスがないように細心の注意をはらい、何度もミスがないことを確認した。

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しかし、人間誰しもミスは起こす。そんなとき、教育係の先輩の目が光る。まるで獲物を見つけた猛獣のように。
「どうしてここでミスが起きたの?ちゃんとマニュアル通りにやったの?」
単純な質問であっても、ミスをしたことで精神的に負い目を感じている私にとってはトゲでしかない。
ここはこのようにやりました。ミスのないように何度も確認しました。そう先輩に伝えても、マニュアル通りにやっていないことがすべての始まりと言わんばかりに、指導開始のゴングが鳴る。
自分なりの仕事のやり方を見つけられると言ったのは先輩で、その言葉を指導として受け取りここまで仕事に励んできた、リスクヘッジしながら、ミスのないように気をつけて仕事をした。それなのになぜ最初の1歩にまた戻されなければいけないのだろう。とても納得がいかなかった。

指導を聞いていれば、新人でまだ仕事に完全に慣れていないのだから、マニュアル通りにやりなさい、が結論だ。どんな方向に話が振られても結局はそこに落ち着く。何度このフレーズを聞いたことだろうか。
裏を返せば、「新人だからオリジナリティは出すな」と言われているかのようだった。新人とはいえ、1人の人だ。自分らしさが多くない私の自我を、踏み潰されたような感覚を覚えた。
仕事のやり方は、自分で試行錯誤しながら、ミスをしながらアップデートしていくことで学んでいくものではないだろうか。他者に押し付けられて無理やり変えていくものではないと私は思う。

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あのとき感じた感覚が、私の仕事とこれからの歪みを生じさせた。仕事を始めて数ヶ月。誰もが一度仕事をやめようかな、と考える頃ではあるのだが、このとき真剣に退職を考え始めた。
それからも仕事と自分との歪みは大きくなっていく。毎日出勤しなければいけない仕事と、立ち止まりたくなる私。仕事にやりがいを感じられず、自分の存在意義を問うまでにエスカレートしていった。
このままでいいの?これからどうしたい?と自分に聞いてみると、今までのように疑問を持ったまま首をかしげて仕事をするのは違うという答えが出た。
新人として、社会に揉まれることは必要だと思う。しかし、社会に100%染まってしまうのは違うとも思う。自分が感じた疑問や歪みにも目を向けることは大切だ。

社会のあれこれを鵜呑みにするのではなく、職場の慣わしを当たり前にしてしまうのではなく、自分の芯とすり合わせていくことで、自分のこれからを描いていく。

自分が選んだ選択肢が、はずれだと後悔しないように。
自分の選んだ選択肢が、次へのステップアップだと胸を張れるように。