二十歳の誕生日、私は結婚するはずだった。
その当日、私たちは婚約破棄をした。

私が、
「私たち、もうだめね」
と言ったら、相手は、
「俺は君が怖いよ」
と言った。
波音が静かに響いていた。秋の夕暮れ。

◎          ◎

結婚するはずだった相手は、大学の1つ上の先輩である。入学式の次の日、先輩が私を見初めて交際を始めた。先輩は私の見た目のデザインと立ち居振る舞いと声の性質を愛し、私は先輩の知性に惹かれた。

いわゆる毒親育ちの私は、誰かに愛されるという経験が無く、先輩が私を愛する訳がわからなかった。
だから私たちは何度も衝突を繰り返し、和解する度に依存して、いつしかどちらかがどちらかを殺すか殺されるか、あるいは一緒に死ぬしか結末が来ないような恋愛をした。
「愛してる?ならば私の為に死ねて?」
「死ねるよ。死んだら一緒にいてくれるよね?」

「君がいない世界なんて、目を開けているのも怖いよ」
「ならば私が死んだらあなたも死んでね」

死こそ、最上級の愛情表現だと思っていた。病んだ愛し方しか、私は知らなかった。いつしか先輩にもその「病み」が伝染して、お互いを縛るような愛し方しかできなくなっていった。少しずつ無理をしていた。

別れよう、と思ったのはいつだったか。
先輩のためなら死にたかったし、「早く殺してくれないか」と思っていた私が、「こいつなんかに殺されてたまるか」と思うようになったのはいつからだったか。
多分、「この人は私の本質を少しも見てはいないのだ」と気付いたときである。本質を愛されたかった。でも先輩は、本質を愛してくれなかった。先輩が愛していたのは、先輩の理想の見た目をした、私の外見だけだった。

◎          ◎

確か、着たい服があったのである。
中華風の刺繍が施された、レトロな黒いミニワンピ。
先輩は、その服を着ることを許してくれなかった。
曰く、「君は世界一可愛い。だから何を着ても似合う。どんなダサい服であっても。ならば、あえてダサい服を着て、それでも美しいことを世に知らしめるべきである」。
この謎理論によって、私はお洒落することを許されてこなかった。
それが、初めて明確に嫌だと思ったのである。
私は着たい服を着る。どんなに愛する人であろうと、私の意思に口出しはさせない。そう思った。

それと同時に、今まで積もりに積もった「ちょっとした嫌だったこと」が溢れるようにフラッシュバックしてきた。
先輩の嫌いな本を読むことを否定されたこと。食べ物でも風景でも、写真を撮ることを禁止されたこと(先輩はSNSが嫌いな人だった)。髪を染めてはいけないと言われたこと。先輩以外の人と口を利くなと言われたこと。

ここまでしてまで、先輩の愛する人を演じる必要はあるのだろうか。否、無い。私は私らしく生きたい。
だから私は先輩と別れた。これからは、自分のために生きようと思って。
結局先輩よりも、私は自分自身の方が可愛くて愛おしかったらしい。それでよい。