学生の頃、初恋を経験した。
初めて心を奪われて、初めて自分を見失った。
私は男の人を初めて心の底から好きになって、それ以外のことはどうでもいいと思えるくらいにのめり込んだ。
ふったのは、私の方だった。
理由は、外の世界を知ったから。
私を好きでいてくれる男の人はこの人だけではないと知って、もっと外の世界のことを知りたくなった。
よくある、軽薄でありきたりな心変わりだ。
でも、ふった当人の私も、多分向こうも、その心変わりにとまどって、困惑した。
結婚しようね。絶対お嫁にしてね。世界で一番大好きだよ。どこにも行かないでね。ずっと一緒にいようね。
その言葉を交わしている時には、嘘なんて微塵もない。
心の底からそうなることを本気で望んでいたし、実現すると思っていた。
その言葉を交わしている時は全てが真実であり、純愛だと思えていた。
でも、終わってしまえば嘘っぽく、恋愛のいい時だけを写した映画のように思えた。
よく男女の性欲が続くのは3年間と言うが、そのタイムリミットが訪れただけのことなんだろう。
どんなに素晴らしい瞬間を共にしようが、どんなに愛の言葉を交わそうが、相手に対する性欲を使い果たした、それだけのことだったんだと思う。
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恋愛を盛り上げる言葉はいつも無責任な嘘だ。
でも、言葉を発している時にそこに嘘なんて微塵もない。
人生の全部を後回しにして恋愛に夢中になって、終わって、を繰り返して来て大人になった今思うのは、恋にも愛にも、永遠なんてないということだ。
それは悲観して言っているのではなく、ただそういうものなのだ、と学んで、受け入れられたということ。
お互い色んなものを見て、聞いて、知って、体験して、変わっていく。人間は生身の生き物なのだから、老いて、出来ないことが増えて、忘れていく。
楽しい日もあれば悲しい日もあるし、愛し合う日もあれば、騙して嘘をついて裏切る日だってある。
同じ日など人生に一日もなく、その時その時が発生しているだけなんだと思う。
だったら、その時その時に生まれる、素敵な一瞬を、かけがえのない宝物ののような一言を、無責任で結果的に嘘になることがわかっていても愛の誓いを、その時は、めいいっぱい楽しめばいいのではないか、それが恋愛というものなのではないか、と私は思うのだ。
そして恋愛の壁を越えて一人の人としてこれからも可能な限り一緒にいたいと思える人に出会えたのなら、その努力を続ければいい、そんな人に出会えたなら、その人生は幸せだと思う。
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永遠の気持ちなんてない、だけど人は嘘をつく。
結果嘘になったとしても、その瞬間瞬間のお互いさえ本物だったらそれでいいと思う、恋とはそういうものだと思う。
思うけど、大人になった今、出来ればもう嘘はつきたくない、とも思う。愛する相手に誠実でありたい。
誠実とは、永遠に愛するという無謀な誓いを立てて、どんな違和感も見て見ぬふりをしてやり遂げることではなくて、今自分がどう思っているのか、どうしたいのかを正直に伝えるということだ。
無謀な愛の誓いをたてることはもう出来ない。
この愛がいつ終わるかも分からない。それでも、今、この瞬間、私は永遠を祈ってしまうくらいあなたを愛しているんだと伝えたい。
お互いが生きて、変わっていく中で、それでも手を取り合って一緒に生きていきたいといつか、誰かに、プロポーズをしてみたいと夢見てしまうのだ。