私は体育が得意じゃなかった。
徒競走をすればいつもビリ、跳び箱は4段も飛べたか記憶にない。チーム戦で活躍したこともないし、体力テストだっていつもE評価。ボール投げで1メートルも飛ばなかった時は、さすがに自分でも笑うしかなかった。
「体育なんてなくなればいいのに」「せめて選択制にしてほしい」といつも思っていた。
体育教師に、運動オンチの気持ちなんて分かるわけない。だって体育ができるから体育教師になったんでしょ、と教師に対しても思っていた。
体育の授業は、時間が過ぎるのを待つだけの時間。みんなの邪魔をしないように、隅っこにいる時間。私にとってはずっとそうだった。

◎          ◎

だけど、いざ高校を出て体育がなくなってみると、私が嫌だったのは「体育」であって、「運動」ではないことに気が付いた。
コロナ禍になって、さすがに運動不足が心配になったので、近くの公園を走ることにした。
最初は、どうせ長くは走れないし、5分もしたら帰ろうと思って、Tシャツにジーンズの普段着で走った。すると、確かに長くは走れなかったけれど、走った後は爽快感や達成感があることに気づいた。
良い汗かいたな~という心地よさ。なんとなく視界が明るくなって、気分が上がる感じ。
ここから半年間くらい、ジョギングにハマっていった。

もともと倹約家なので、立派な歩数計やウェアを揃えたりはしなかったが、とりあえず運動ができる格好で走るようにした。一度に走れる距離はどんどん伸びて行って、自分のペースもつかめるようになった。最終的には、3~4kmを止まらずに走ることができるようになっていた。
早朝の河原や広めの公園に行くと、走っている人がたくさんいた。その人たちと無言ですれ違いながら、心の中では、仲間意識みたいなものが芽生えたりもした。
ジョギングついでに筋トレをしてみたりするうちに、運動は目標を持って取り組める、楽しい趣味だと思うようになっていた。

◎          ◎

今はもう、自分に運動はできないなんて思っていない。運動が嫌いだとも思っていない。
体育は苦手だ。誰かと比べられるし、評価がつけられてしまうから。それさえなければ、自分のペースで取り組めるなら、運動はきっと誰にとっても楽しくなり得るものなのだ。
それに、大人になった今だからこそ思うが、嫌々でも毎週子どもに運動させる時間は、発育上必要だったと思う。
いくら苦手でも、全く体育をせずに育っていたら、今頃世の中にどんなスポーツがあるかも知らなかっただろう。オリンピックを見ても、何をしているのかさっぱり分からなかったかもしれない。自分が運動オンチだと、早い段階で気づくこともなかった。

今、体育が嫌いで、苦痛でしょうがない子たちに伝えたいのは、体育ができなくたって全く問題ないということ。体育で活躍できるかどうかなんて、大人になったらどうでもよくなる。今は辛いかもしれないけど、それも苦い思い出として、いつか笑い話になるよと伝えたい。