お互いの小さな幸せも祭りかの如く喜べる、友達への気持ちをいつまでも忘れずにいたい。
学校の食堂が、ホテルのアフターヌーンティーになっても、あの頃と同じようにくだらないことで笑いあえる私達でいたい。
私を含めた5人でひとつ。高校時代の思い出は?と問われれば、「大好きな友達が出来たこと!」と私は答える。
一緒にいる事が当たり前で、どんなことも共有した。勉強や将来、趣味や恋人の話。なんだって知っていた。
毎日飽きもせずとりとめのない話ばかり。何があんなに面白かったのだろうかと思い返すけれど、どの私達も幸せそうで、いつまでも一緒にいようねと5人で約束した。
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高校を卒業し、5人全員が別々の道へ進んだ。大学、短大、専門学校。小さな田舎町を出て、新たな土地で新生活を始めた。
暮らす環境、関わる人達。触れ合うものが違えば、価値観は少しずつ変わっていく。20代前半の頃は、みんな楽しそうにしているなと、友人達が変わっていく様を見るのが楽しかった。高校時代のようにお互いが最優先でなくなり、会う機会も減ったけれど、会えばいつも楽しい時間を過ごしていた。
だけど昨年、2年ぶりにゆっくり集まれた時の事。久しぶりに会えた喜びで、会話は全く止まらない。高校時代の思い出話はもう何度話しただろうか。どれだけ時が空いても、高校の古びた食堂で話をしていた頃と同じような空気が流れた。
だけど、お互いの近況の話になると、私達はかなり長い期間、別々の道を歩いてきたのだと思い知らされた。
結婚した友人と未婚の私。子どもを産みたいかどうか。仕事や今後のライフプランについて。
想像する未来に大きく差があることに、私は少しだけ怖くなった。私達、この先も変わらず一緒にいられるだろうかと。
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女性の人生は、多岐にわたる。結婚後、働くか働かないか、子どもを産むか産まないか、事実婚か。はたまた仕事や自分の趣味に熱中する人生か。私達5人が同じ価値観を持ち続けられる訳がなかったのだ。
私は、仕事や趣味に熱中して結婚や恋愛の優先順位が高くない人生を送っている。そんな私が、大好きな友人の結婚や子どもの悩みについて、寄り添うことが出来るだろうか。17歳のあの頃のように「大丈夫だよ!」なんて軽々しく言ってはいけないと分かるくらいに、私たちは大人になった。結婚や子どもへの価値観を持たない私が、間違って友人を傷つけてしまわないかと思うと、少し怖い。
そんなモヤモヤを感じた日以来、その中の友人の結婚式でまた5人が集まった。友人達だけを集めたパーティーで、私達4人は新郎新婦の真ん前のテーブルだった。
それだけでも十分嬉しかったのに、生い立ちムービーで「高校では大切な友達に出会った」と私達の写真が写り、それをすごく嬉しいと4人が思っていたことは、確認し合わなくてもよく分かった。
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最後、「新郎新婦の一日」を切り取ったムービーの中の友人の幸せそうな姿に、全員が涙を流しているのを見て、私は少しだけホッとした。価値観は変わっても、お互いの幸せを願い、喜ぶ気持ちはあの17歳の頃のままだと。この気持ちがあれば、私たちはこれからもずっと一緒にいられる。
大人になると口約束の脆さを知る。大人同士のそれは、どこか右から左へ聞き流すような感覚さえある。だからこそ、私たちは紙に証明を求めるのかもしれない。
互いに心地よい距離感でいられる人を求める。それはとても自然なことだ。だけど、私は、あの頃の口約束をいつまでも信じたい。
その脆さを知ったとしても、互いの幸せを分かちあえる未来を、17歳のあの頃にした「ずっと一緒にいようね」という約束を守りたい。