バスケットボール片手に体育館へ1歩足を踏み入れ、目線を上げた瞬間、複数の鋭い視線が私に飛んできた。どうやら私の存在が場違いらしい。
羞恥・混乱・後悔・緊張の感情が一気に流れ込んできて、全身から冷や汗が出ているようだった。このまま何事もなかったかのように回れ右をして帰るか、携帯を取り出して電話がかかってきたふりをして帰るか、それとも私に飛んできている視線に気づいていないふりをして突き進むか。
要するに帰るか進むかの2択だった。視線をあびながら悩んでいる時間は体感的には2分くらいだったが、実際は0.1秒くらいだった。
それまで自分に対する根拠のない自信と度胸から、何が起こっても私は大丈夫だと信じてきた。しかし、それが通用していたのは日本というなじみのある文化、自分と同じ人種で構成されているコミュニティ内での話だ。
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私は、人種について興味があり、どうせ勉強するなら多人種国で体感しながら学びたいと思い、大学3年時にアメリカの大学へ1年間留学した。
それまでも遠い国の文化が知りたくて、大学長期休みの度に海外旅行によく出かけていたが、1年間というそこそこ長い期間に多少びびりながら、まあなんとかなるだろと持ち前の根拠のない自信とともに日本を飛び立った。
留学先の大学までのたどり着き方は公式には知らなかったが、GoogleMapのいうことだけ聞いていたら苦戦しながらも到着した。
到着したのは新学期が始まる5日前。キャンパス内にはまだほとんど人がいない。到着後はどこに行くのか知らなかったので国際センター的なところにいくと、「おめでとう!あなたが初めての日本人だよ、いらっしゃい!」と出迎えられた。どうりで調べても情報が少ないわけだ。
いや、そういうことは先に教えてくれよ!心の準備も必要だよ!と思ったが、自分がマイノリティになるには絶好の環境が用意された。
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学校が始まり、2週間ほど経過したところで私は焦りを感じていた。友達ができないどころか、1日のうち食堂のモーガン・フリーマン似のおっちゃんとの挨拶ぐらいしか口を開いていない。せっかく留学にきたのに、これは非常にまずい状況だ。
さて、この状況を打破するためにはどうすればいいか。
答えは知っていた、バスケだ。
私は小学校2年生からバスケットボールを習い、中学高校とバスケットボール部所属、大学では同好会に所属し、週3日練習していた。
今までバスケを通じてコミュニティを広げてきた。しかもここはバスケ大国アメリカ。私の強みとアメリカの相性が抜群に良い。これほどまでに自分がバスケをやっていてよかったと思ったことはない。タイムマシンに乗って過去に戻れたら、小学2年生の私を世界一の天才だとほめてやりたい。
状況打破の方法はわかったから、さっさと実行に移そう。体育館に行ってバスケしてれば自然と友達ができるだろうと踏み、意気揚々と放課後に体育館へ向かった。ちなみにだが、こうなることを予想して日本からバスケをする準備をしてきた。
バスケ用のTシャツ・ズボン・ソックスに着替え、シューズの紐をきつく結ぶ。さらには入口でバスケットボールも借りて片手に収める。かっこいいアメリカ人と出会っちゃたらどうしよう、人気者になっちゃうかもなあと、この後起こる可能性のある未来に心弾ませながらついに体育館へ1歩踏み出す。そして冒頭だ。
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どうポジティブに捉えても歓迎はされていない雰囲気。品定めをされているような感じだ。
それも致し方ないと、すぐに納得した。体育館にいたのは15人ほどで、全員NBAにいそうないかつい黒人男性たちだった。
そんな中で、のこのことバスケのイメージすらない黄色人種かつ体型やや細身の女性が現れたのだ。私が彼らの立場だったら、何の手違いでここに来てしまったのかと思う。おそらく彼らは歓迎していないのではなく、そう思っていたのだろう。
当の私は、さらっと引き返そうにも、いかにもバスケしにきました!という格好なので引き返せない。そこからは1つ1つの挙動に緊張した。いつまでも視線がついてきている気がするのだ。これでは本当にイエローモンキーになって見世物になっている気分だ。
アウェーな環境だったが、まずはこの浮いた存在に慣れてもらえば何か進むかもしれないと思い、授業後に体育館へ通い続けた。すると品定めの視線は消え、また来たか、という視線に変わっていったように思う(自分が都合の良いように解釈しただけかもしれないが)。
私が練習している姿も見て、こいつ意外とできると思われたのか、なんと声を掛けられることが増えた。「一緒にシュート練習しよう」だったり、「試合やるのに人数が足りないから入ってくれ」だったり、徐々に仲間に入れてくれるようになった。
2か月後には、黒人の女の子たちから「ずっとあなたがバスケしている姿を見ていた。バスケがうまいから私たちのチームに入って大会に出よう」と言われ、あれよあれよという間に泊りがけの大会に出場することになった。
仲を深めていき、デリケートな人種問題についても聞ける機会を得ることができた。授業や教科書からはなかなか知りえないことだ。貴重な機会を自分で環境を切り開いて掴むことができたのだ。
あの時引き返して帰っていたら、得ることが少ない留学生活になっていたかもしれない。
あの時、負の感情を押し殺して虚勢を張ったからこそ、想像以上の収穫を得ることができた。
人生最大の勇気を振り絞った瞬間は忘れられないし、あの瞬間を思い出せば、この先大抵のことはへっちゃらな気がしている。