友達、家族、街ですれ違う人たち、レジにいる店員さん。
生きていく中で関わるたくさんの人たちと、表情の全てで感情を伝え合った日々を、忘れたくないと思う。
忘れてはいけないと思う。
それと同時に、景色も生活も一変した2年少しで身につけた新しいコミュニケーションも、忘れずに続けようと思う。
2020年、新型感染症は、私たちの顔を半分マスクで覆うことを必須にした。

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当時の私は大学生だった。オンライン化した会社説明会、2メートル以上の距離と透明なパネル越しの採用面接、そんな就職活動を経験した。
大学の卒業論文発表会も、教室ではなくて、一人暮らしのアパートで行った。

振り返ると、たくさんの悲観的な出来事が多いように思う。中止になった楽しいイベントも、毎日ニュースで流れる感染者数のグラフも医療現場の様子も、その全てが、社会から笑顔や当たり前だった日常を吸い取っているように感じて、苦しかった。

それと同時に、感染対策と隣り合わせの生活にも慣れていった。
楽しさも、少しずつ見出せるようになった。

卒業論文発表会後に行ったゼミのオンライン飲み会では、発表会中にスーツの下半身は何を身につけていたのかの話で盛り上がった。パジャマやら短パンやら、ピリついた空気の中での格好を想像して笑いあった。
だだっ広い公園の中で、芝生に足を伸ばしてマスクを取った瞬間、顔が太陽にさらされて風に吹かれ、それがとても気持ち良いことを知った。
離れて暮らす友人と頻繁にオンラインで再会するようになった。お揃いのお酒とおつまみを購入し、画面越しに乾杯し、背景設定で遊び、画面共有で一緒にアニメを見る。
何かを隔てても、大切な人と繋がり笑い合う方法を見いだすことができた。

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そんな中、仕事で関わる人にたまに言われるようになったことがある。
「身振り手振りが多くて、目がニコニコしているね」

これは、この日々の中で私が身につけた気持ちの伝え方だった。
気持ちを伝えたい時、マスクがかすかに上下するだけじゃ、私の感情は伝わりにくいことに気づいた。なぜなら、私の目は小さくて、主張が控えめだから。話も、上手じゃない。
それなら他の方法で、めいっぱい気持ちを伝えようと思った。

手や指で表現しながら話すと、自分の声のトーンも、喜怒哀楽に応じて変わるような気がした。相手が緊張していると感じた時、楽しい気持ちを伝えたい時、とにかく笑顔でいるようにした。小さな目でも、ニコニコしていると、マスクの下も笑っているのが伝わるらしい、ということを知った。

最近、人との距離とか、会話をしないとか、いくつかの条件を満たせばマスクを外して良いと、政府が発表した。
もしかすると、マスクを常備しない日々も、もうすぐそこまで来ているのかもしれない。

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そう感じた時、ふと、今やっていることを続けていけるのか不安になった。
昔は今ほど笑顔で話していなかったように思うし、コンビニの店員さんからレジ袋を受け取る時も、目を見て「ありがとう」と言っていなかったかもしれない。
この時代になったからこそできるようになった当たり前のことが、当たり前じゃなかったことに気づいた。

笑顔も、お礼も、感情表現も、単純なことのように見えて、そこから得られる安心や嬉しさは大きいということを、自分が受け止める側になっても実感する。

どんな環境に置かれても、ほんのちょっとでも楽しさを見つけることができる生き方をしてみたい。顔を半分覆ってから身につけた人とのコミュニケーションの取り方も、これから待っているはずの新しい時代に忘れず引き継いでいこうと思う。