私は、自分自身の心の死を譲らないと決めた。
今年の1月、鬱病と診断された。
社会人3年目の終盤。
1人で進める仕事も多くなり仕事もたくさん任されて、責任感もやりがいもいよいよこれから、という矢先に鬱になった。
正しく言うと、鬱と診断されたのがそのタイミングだっただけで、半年間くらいはずっと鬱の状態だったんだと思う。
毎日夕方になると下がらなくなる熱、突然の頭痛や胸痛、不眠、耳鳴り、生理不順など、思えば兆候はたくさんあった。
それが仕事のストレスだということも私は知っていた。
そんな中で1番苦しかったのは、自分の心が死んでいくのに、気付いているのに気付かないフリを続けたことだ。
好きだったことに興味を失い、誰にも会わず、物欲もなくなった
元々1人で本を読むことも、人と話すことも大好きだった。多い時は1日に1冊本を読んでいたし、週末には近くのイベントや地域のボランティアを探して積極的に参加したりしていた。遠くまで出掛けて服を買ったり、新しいコスメを探したりした。料理も好きだったので、レシピを調べては旬の食材で凝ったご飯も作っていた。
だけどだんだん、何にも興味がなくなった。
まず、知識の吸収が嫌になった。
些細な情報でさえも吸収したくない。本や映画に興味がなくなった(YouTubeだけはダラダラと見続けられるので永遠に流していた。見ていたというより本当に流していた)。勉強するのが好きで、以前は積極的に資格や語学の勉強もしていたが、そのタイミングで何にも勉強しなくなってしまった。
次に、人と会いたくなくなった。
職場の人とも家族とも友達とも会いたくない、話したくない、余計なことを聞かれたくない、恋人もいらない、ずっと一人でいたい。
そうなってくると、周りのものにどんどん興味がなくなってくるのが分かった。引き締まった体型を目指したいとか、美肌になりたいとか、健康になりたいとか、身体面への欲もなければ、服が欲しいとか新しいコスメが欲しいとか、物欲もなくなった。
心が死んでもしばらくは生きられる。充電が少ないスマホのように
そうすると、何が起きるか。
昔観たドラマで誰かが言っていたけれど、「心は動かさないと、死ぬ」。
本当にその通りだと思った。
吸収を拒んだ私の心はどんどんと枯れていき、夢とか希望とか、そういったものに何にもときめかなくなった。
心が死んでいくのに気付きかけて、気付かないフリをしたくて、少しでも心が動いてしまうのが怖くて、休日や勤務後はたくさんお酒を飲んだ。そうしないと空っぽの心がむくむくと不安だけでいっぱいになって、もっと辛くなることが怖かったから。
ただ、心が死んでいてもしばらくは普通に生きていられる。スマホの充電が3%くらいしかなくても、100%の時の動きと全く変わらないように。
私は職場で普通に振る舞い、飲み会で明るくおどけて、家族や友人には忙しいけど充実しているフリをしていた。そういうフリを続けていたせいで、自分がまだまだ大丈夫だと錯覚してしてしまっていた。
そして今年1月、鬱病と診断された時に周りからは「意外と元気そうだね」「そうは全然見えなかった」と驚かれた。直前まで元気に働いていたのだからそう思って当然だと思う。
ただ私の充電はもう3%しかなくて、多分0%になるまで放置していたとしても誰も気づいてくれなかったと思う。私以外には。
休職して感じる心の変化。これからは自分の心の死を見過ごさない
私は自分の心が死んでいっているのを分かっていたし、それをずっと見過ごしていた。
大人になるって、社会人になるってそういうことかと思っていたから。
休職が決まった時も職場の人に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。もっと頑張っている人がいるのに、私はまだ大丈夫なのに。
だけどもう、自分の心の死を見過ごすことだけは譲らないと決めた。
そう思えたのは、休職期間に入ったことで心がみるみるうちに回復していくのが、自分でも分かったからだ。
休職に入って1ヶ月間は体調が悪く寝込んでいたが、体調が徐々に回復し仕事のストレスもなくなったことで、様々な変化が訪れた。
私の中でそれまで皆無だった欲がたくさん出てきた。本を読みたい、映画を観たい、外に行きたい、美術館に行きたい、新しい服で出かけたいなど、今まで忘れていた感情が自分の中から次々に湧き出てくるのを感じる。その心の変化が、手に取るようにわかって自分でも面白い。
心が文章や映像で満たされると、それを発散したくなる。家族と話したくなるし、しばらく連絡をとっていなかった友人とも数年ぶりに話した。文章やイラストも定期的にかくようになった。この文章も発散のひとつだ。
心の生き返りを感じた今、私は現職を退職し、新たな環境で働くことを決めた。
現在転職活動中だが、正直この社会で思うように自由に生きていくことはとても難しい。自分のやりがいや希望だけでは進んでいけない場面もある。
だけど、これからは自分の心と向き合って生きていくと決めた。もう二度と心が死ぬことは譲らない。