前の彼と別れて1年が経つ。
別れた直後は嫌でも思い出が蘇ってきたが、今では朧げだ。
彼とは価値観が合わなかった。
仕事観、結婚観、人間関係、他にも合わないところはあった。
だけど、別れた原因は、自分があまりに子どもだったからだと、今になって思う。

◎          ◎

いつも、嫌われないように彼の顔色を窺っていた。
余計なことは言わないようにと言い聞かせていた。
電話をしたくても、電話をしたいと切り出せなかった。
広い人脈を持っている彼に、嫉妬することもあった。
私は友だちなんてほとんどいないのに、と。
彼が友だちと遊びに行くと、彼に嫉妬しているのか、彼の友だちに嫉妬しているのかわからなかった。
そんな逆恨みを当然口に出せるわけはなく、なるべく動揺した様子を見せないで見送ろうとすることで精一杯だった。

それは、疲れるに決まっている。
いつしか、彼といるとイライラしたり、気が重くなることが増えた。
会えなくても辛いし、会ってもいても辛かった。
そんな不満が溜まりに溜まって、別れという選択を決断した。

思えば、恋人といる時だけではない。
私は、常に相手の顔色を窺っている。
嫌われるのではないか、嫌なやつだと思われるのではないか。
そう思うと、言いようのない恐怖が込み上げてくる。
相手が何を望んでいるのか、何を言って欲しいのかを把握していないと、恐くて会話ができない。
もし、その期待から外れたことを言ってしまったら嫌われるかもしれないから。

◎          ◎

大抵の人がそんなことを望んでいないのは、わかっている。
操り人形のように、自分の望むことだけを言って欲しいなんて、多くの人は思っていないだろう。
それでも反射的に、言いたいことを飲み込んでしまう。
相手が望む行動を思考してしまう。

今日会った人と話すだけなら問題はない。
だけど、恋愛関係や友人関係という複雑な人間関係を維持しようとすると、私のこの癖は非常に厄介なものになる。
変えようと思っても、すぐには変わらない。
繰り返したくないと思っていても、咄嗟に出てしまう。

言いたいことはなるべく言うようにしようと思っても、やっぱりその場では出てこない。
頭の中で何度もシミュレーションを重ねて、言葉が決まる。
次は、どんな口調で、どんな雰囲気で切り出すかを考える。
何度も何度も何度も反芻して、これ以上は突き詰められないところまで行って、やっと思考停止できる。

余計なことを言わないように生きてきた私は、言いたいことがあると思考停止するように作られているらしい。
思考停止した頭は、無理矢理エンジンをかけないと動いてくれない。
無理矢理エンジンをかけた頭は、エンストするまで止まってくれない。

◎          ◎

私の意思とは関係なく、身体が勝手に動いてしまう。
なりたい自分になれない、弱さを隠して強がりきる力もない、自分の身体なのに思う通りに動かせない。
時々、そんな自分がどうしようもなく情けなくなる。
だから、自分を見せることができない。

「もっと楽にして良い」と言われても、どこか緊張してしまう。
「言いたいことを言っても嫌いにならない」と言われても、言葉を飲み込んでしまう。

受け入れられないことが怖いんじゃない。
こんな人間だと知られることが恥ずかしい。
こんな私を「私」だと思わないでほしい。
みっともない虚栄心が、私自身の首を絞めている。

私を受け入れていないのは、きっと私自身なのだ。
どうしようもない自分を、自分だと思いたくない。
そんな幼稚な現実逃避をしているのが、私。

◎          ◎

恋をして、初めて盲目になった。
盲目になった自分がこんなにも卑しいことを初めて知った。

卑しい自分、弱い自分、浅はかな自分。
もうこれ以上、自分の姿を見ることに疲れてしまった。

それでも、誰かを好きになったり、もっと知りたいと思う気持ちは止められない。

だから、変わろうとするしかない。
その場で言えなくても、自分の思いを伝える努力を怠らないように。
人は、自分の思い通りに動いてくれないことを受け入れ、みんなに嫌われたくないという望みを捨てられるように。
自分のことを見てくれている人がいることも忘れないように。
相手が自分を好いてくれなくても、最低限の敬意を持って接することができるように。
どれだけかかるかわからない作業だけど、続けていくしかない。

いつか、本当に大切な人を手放さなくて済むように。
自分を恥じない自分になれるように。