「1番目に好きな人ではなく、2番目に好きな人と結婚するのが良い」
そんな言葉を近頃SNSで見かける。
人に順位をつけることは失礼に値する。しかし、明らかに私には、1番好きな人がいた。
ふった理由、ふられた理由。私がふった理由は、告白してきた人が1番好きな人ではなかったからだ。

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私は自分が寂しがり屋であることを知っている。孤独を感じやすい。だからこそ様々な人と浅く関わり時間を共にする。
深く人と関わることは得意ではない。だからなるべく深くは関わらないようにしていた(距離感がわからないので、側から見たら深く関わっていたように見えたかもしれないが)。
それは10代の頃からずっとだ。
好きな人に冷たくされた時、好きな人と上手くいかなかった時、必ず他の人の元へ行った。
行ったと言っても、ご飯を食べ、遊んだだけで、恋愛関係には発展させないようにした。
思わせぶりな態度をとることは出来るだけしないようにしていたし、一緒に過ごした人も、私に好きな人がいることを知っていた。
時には好きではない人と、周囲に付き合っていると勘違いをされたこともある。しかし私は誰とも付き合っていなかった。
それは、他に好きな人がいるから。一緒に過ごした人のことは嫌いではなかったが、好きにはなれなかったから。
私は好きな人に対して、気持ちだけ一途すぎた。

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他の人と過ごして、勘違いでも何でも好きにならないかと思ったこともあったが、好きにはならなかった。思い出すのは、いつも好きな人のことばかり。変な罪悪感に襲われることもあった。
そして、そのような関係は、時に相手を勘違いさせる。私が好きな人がいると知っていながら。
それで告白されたことが過去にあった。
しかし私はふった。
思わせぶりな態度をとっておいてふったのだ。
本当に好きなのは、あなたじゃないから、それを知っていたし、告白してきた人と一緒にいても、思い出すのは好きな人だったから。

学生時代、私は他の男友達と仲良くしてることを、思わず好きな人に見せつけた。
そんなことをしても何にもならないことは知っているのに。
相手は私のことなど見てはいない。そして好きではない。だから見てもどうも思わない。
そのようなことは気づいていたのに。
好きな人と私は上手くいく筈がなかった。
私は当時そのようなことばかりしていたのだから。
罪悪感が二重でのしかかり、私自身にも傷を負わせる。

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そして大人になっても、似たようなことがあった。
好きな人がいるのにも関わらず、私は別の人とデートした。手も繋いだ。
しかし、「今繋いでる手が好きな人であれば良いのに……」と過ってしまった。
過ってはいけないところで。
その人と好きな人の共通点を見つければ、「あっ、あの人も!」って私の中で好きな人が現れるのだ。
そのような自分が嫌になり、私はデートした人と距離を置いた。

「好きな人と付き合えば良いじゃん!」と言われたことがあるが、それはなかなか難しい問題である。
付き合ってしまったら、結婚するか別れるかの選択肢ができてしまう。結婚しても別れるかもしれない。
好きな人と死ぬまで一緒にいることができる保証はどこにもないのだ。
だから、付き合わないできた。
付き合わなければ、異なった形で一緒にいられるかもしれない。それは単なる私の考えに過ぎないが。
私は好きな人をただただ想い続けることに力を注いできた。その気持ちは、好きには変わりない。
時には好きな人に「付き合って」とは言わず、ただ「大好き」と伝えて曖昧な関係を続けてきた。
好きな人と死ぬまで一緒にいたい。どのような形でも良いから。