「またそんな男の子みたいな服買って」
耳にタコができるくらい聞いた、この台詞。ああはいはい、と流したのも何回目だろうか。
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角ばった手首の骨、太くて目立つ鎖骨、薄っぺらい胸の感じ……シャワーを浴びる前、鏡を見てまず目が行くのはそんな自分の姿。
インスタグラムによくいる、華奢で可愛らしい女の子には程遠い、割としっかりした肩幅。他人に撮られた自分は、首より下だけ見れば、確かに男の子っぽく見えるかもしれない。
けど、実は下半身が太りやすくて、お尻は結構大きい。なんとなくアンバランスな身体だ。
けど、自分はそこそこ気に入っている。
自分の体型にはオーバーサイズのTシャツ、細身のスキニー、タートルネック。あとは、古着みたいに、だぼ、ゆるっとした格好の方が似合う。今時のパフスリーブとか、フリルのついた襟が大きいやつはてんで似合わない。
だから、洋服は古着の、メンズを買って着ることが多かったのだが、それをみた母親から飛んでくるのがあの決め台詞だ。
「またそんな男の子みたいな服買って」
だから何だっていうのだ!
私は男の子みたいな服、だから買っているのではない、その服がかわいいと思ったから買ったのだ。
世の美容雑誌やら美容アカウントやらを見ると、みんながこぞって目指すスタイル像みたいなものがあるように感じる。ウエストも脚もお尻も細くて、でも胸は残したまま、さらに肩幅は華奢であるとなお良し。
もちろんそれは否定しない。そういう女の子は確かに概して可愛い。憧れだってある。なれるものならなってみたい。
けれど、努力とかそういう範囲を超えて、絶対に私とは異なる体型が理想に据えられている今、私はどこに向かえばいいのだろう。
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私は自分の身体が好きだ。コンプレックスだってもちろんあるが、それも含めて悪くないと思ってる。
けれど、胸のなさについて揶揄われるたびに、ネットで胸に効くサプリを調べている自分がいるし、男の子とごはんに行く日は気づけばスカートを選んでいる。しかも、一人でお出かけするときだって、好きな服を鏡の前で合わせるたびに頭をよぎるのは母のあのセリフと来た。
世間が何だ、好きな服を着を着ればよい、そう思うけれど、実際それを突き通せるかというと嘘になる。実際のところ、私はがんじがらめなのだ。私をがんじがらめにして離さないのは、母のいつもの言葉だけじゃない。
もっと可愛らしい服も似合うと思うよ、ショートもいいけどロングの時が女の子らしくて好きだった、ズボンのイメージあるけど、スカートとか履かないの?
悪気なんてない、むしろきっと私を思って投げかけてくれたのであろう言葉が、じわじわと私の首を絞める。
本当は、自分に似合うオーバーサイズのTシャツ、細身のスキニー、タートルネック。あとは、古着みたいに、だぼ、ゆるっとした格好がしたいのだ。 けれど、ここ数年は、ロングの髪の毛を毎朝ゆるく巻いて、無難におしゃれに見える淡色を全身にまとい、家を出ている。
そんな自分が悔しくて、気の置けない友人との集まりみたいに、他人の目を気にしない日は、あの母の声を脳内で遮って、目いっぱい好きな恰好をしている。
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世間の目、なんていう言葉は呪いだと思っている。だって私はこの体と一生付き合っていくのだ。胸がもっと大きかったら、とか、もっと華奢だったら、とか身長が今より5㎝高かったら、とか、そんな風に自分の体型を何かと比較して修正の対象として見るのはなんだか悲しい。
女の子らしくてかわいい、男の子らしくてかっこいいがよしとされるんじゃなく、君らしくて似合ってる、が一番の誉め言葉になる日が今すぐに来てほしい。
私が好きである自分の体型が、私らしくていい、そんな風にみんなが思ってくれるような日が。