わたしは肩幅が広い。
それは高校時代にハンドボール部でキーパーをやっていたからかもしれないし、もしくはもっと遡ると、小学生の頃に、周りの女の子たちに比べて自分の胸が小さく、それが嫌で隠したくて、ぎゅっと肩に力を入れていたことの名残かもしれない。

自分の広い肩幅が嫌いではないが、華奢な首や肩に憧れる

旅先で出逢ったマッサージ師の友達からは、「肩に何か守り神でも住みついているんじゃない?」と言われたし、1回しか逢ったことのない男の人からは、「元々は男性だったの?」という言葉をかけられた。
その言葉を聞いて、そういえば、小さい頃はずっと、男の人になりたかったのだ、とふと思い出した。

でも成長した今、華奢な首周り、肩周りにとても憧れるのである。
街中で見かけるカップルは、男の人が女の人の華奢な肩に手を回している。そんな光景ばかり目に入って、ああ、わたしには一生縁のないことか、なんて思ってしまったりする。
そもそも、誰が女の人は華奢じゃないといけない、なんて決まりを作ったのだろう。男の人だって華奢な人はいるのに。

とかなんとか考えてみるが、わたしはこの肩を嫌いなわけではない。普段筋トレやヨガをしているから、引き締まった身体が自分でも格好良いなと思うし、この身体に合った服は絶対にあると感じている。
ただ、日本のレディースサイズだと、ちょっときついのだけどね。

華奢な人をまねるより、自分が格好よく見える服を選ぶ方がいい

ある日、久しぶりに古着屋さんに入った。
すごくかわいい薄ピンクのトップスがあって、試着をさせてもらった。着ようとしてみた途端、ああ、小さいな、と感じた。前開きのトップスだったので、前のボタンを開けて着たら、かろうじて着ることができたし、結構様になっていた。古着屋のお姉さんも「素敵です」と言ってくれた。

そのあと、店内をしばらく歩きながら考えたのだが、服にとっても、買い付けをしてきてくれたお店の人にとっても、あのトップスはもっとぴったりな人に着てもらった方が嬉しいだろうな。わたしが着ていたら、肩周りが窮屈で、気持ち良く着ることができないかもしれない。そんなことを感じて、接客してくれた素敵なお姉さんに、また来ます、とお礼を言ってお店を後にした。

そこでわたしは半ば、諦めた。
わたしの肩周りはすごくがっしりしている。華奢な人たちが着こなしている服を見様見まねで着てみるのは、何か間違っているのかもしれない。
そうであれば、わたしの体型で、格好よく見える服を選んだ方が、結果、わたしにとっても服にとっても、良いことなのではないか。

わたしはわたし。自分の特徴を活かして日々を彩っていく

そう思えたら、なんだか気持ちが軽くなった。わたしはわたしで素敵なのだから、そして華奢な人たちは華奢な人たちで素敵なのだから、それぞれの特徴を活かして日々を彩っていけばいいのではないか。

そのあと入った古着屋さんで、そのことに気づけたご褒美かのように、ぴったりなデニムに出逢うことができた。今まで色んなデニムに出逢ってきたけど、これほどまでにぴったりなデニムには出逢ったことない、そう言えるほど、ぴったりだった。

わたしの肩幅を活かせる素敵なトップスに出逢うための旅はまだまだ続きそうだけど、でもきっと、わたしが心地良く着ているものは、結果、似合っているのだろう。
窮屈な思いをしてまで、他の人になろうとしなくても良い。色々な体型の人がいる。自分の身体に興味を持って、このように一緒に旅をしていくのはとても素敵なことだと感じる。
少なくとも、わたしはわたしの身体を愛しているし、これからも大好きでいると思う。