大好きだったカフェの仕事を離れる最後の日、彼女は突然姿を現した。
日々の連絡の中で最終日だということは伝えていたけれど、彼女の家と、私の職場は同じ関東といえど片道1時間はかかる距離。
ましてや大人同士の付き合いなのだから、"最終日にお見送り"なんてことは一切期待していなかった。
どころか予想すらしていなかった。

なのに彼女はまるで約束していたかのように、
「やっほー、おつかれー」
そう言いながらレジに来て、他のお客さんのように飲み物を買い、そしてこれまた他のお客さんと同じように席についた。

◎          ◎

休憩の時間になった瞬間、彼女の元へ向かうと、彼女自身も忙しい中来てくれたようで、お疲れ様のプレゼントを私に渡すとすぐに帰っていった。
最終日を覚えてくれていただけでも、更には店に来てくれただけでも充分嬉しくて、全力で彼女を見送ったのち、仕事へ戻る。

最終日ということで、お客様からのお見送りや仲間のお見送りもあり、怒涛の1日を終え、涙ながらのお別れをし、家に帰ってみんなからのお餞別や手紙をひとつひとつ見る。
彼女からのお餞別は、"実用的なものしか要らない"という私をよく理解した、癒しグッズとパック、そして手紙だった。

その場で慌てて書いたであろう勢いのある字と、サイン用の太いペンをチョイスするあたりが彼女らしいなと思いながら読み進める。
今までの私に対する労いの言葉と、私のこれからを応援するメッセージの中に、とても力を貰う一文があった。
"世界中どこへ行ったとしても会いに行くよ"

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今回私が退職を決めたのは、海外へ行きたいから。
理由は分からない。
人生からの逃げかもしれないし、うまくいかない自分への甘えかもしれない。
退職を決めてから細々と始めた就活もうまくいかず、結局次の日からニートになることが確定している。
加えてデンマークにいく!と言ったかと思えば、やっぱり将来を考えるとオーストラリアかなあ?なんて言い出し、自分で言うのも恥ずかしいけれど、ブレッブレのキャリアプランだ。
更にブレブレの健康状態も相まって、海外へ行くのが正解なのか、退職という選択が正しかったのかすら分からない。

どう進むのが最善の策なのか、何を選ぶと上手く行くのか、このままで私は幸せになれるのか、そもそも今までやって来たことが正解なのか。
将来どころか半年後も分からない人生に、正直不安でいっぱいだった。

けれど、彼女のその一言に強く背中を押された。
このままでは何が正解か分からない。
分からないけれど、前に進むべきだ。
そしてその道を応援してくれている人がいるのだと。
行った先でつまづいたとしても、手を伸ばしてくれる人がいるのだと。

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そこから2ヶ月。
残念ながら私はまだゴールには辿り着いていない。
おまけに立ちはだかる壁たちに一喜一憂する毎日だ。
けれど、これを全て超えた先がどんな場所であったとしても、彼女がよく頑張ったね!と背中を叩いてくれる。
そう信じることが出来るから、私はゆっくりだけれど前に前に進むことが出来る。