女の子は男の子よりも、自分の容姿を客観視できるようになる時期が早いと思う。
私は幼稚園時代、自分の容姿が誰より劣っていて誰より劣っていないという事を勝手に順位付けていた。そして母親に関しても誰の母親が若くて美しいか、という事に意識を向けていたし、それは幼稚園の先生に対しても同じだった。

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小学生になると、他人からの運動能力や学力の評価が加わり、美人で何でも器用にこなせる子は益々自信をつけて可愛くなっていき、教員も依怙贔屓をした。常に比べられる環境に置かれたストレスの多い学校生活は嫉妬が飛び交い、スクールカーストの中で踠く毎日だった。

中学生になると、先輩、後輩を交えた更なるややこしい嫉妬の渦に揉まれた。生理を迎え丸みを帯びた体と、消えては現れるニキビと格闘し、鏡を見るのも嫌だった。全員が同じ制服を着ることを強制される事は美人との差を露骨に見せつけられるようで気分も悪かった。可愛い子はどこまでも可愛く、存在だけで心を傷つけた。

高校生になると、恋愛の色がより濃く加えられ、女としての価値を手探りで迷走した。終わる事のないダイエットと承認欲求が作り出す毎日更新のブログにTwitter。つけまつ毛とカラーコンタクトに自信のなさを隠し、原型の見えないプリクラを狂ったように撮り続けた。閉ざされた学校という空間でのゴシップが娯楽の全てであり、友達と競うようなリア充アピールに青春を燃やしていた。

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大学生になると、制服という呪縛から離れた喜びと同時にセンスという難題も降ってきた。服のセンス、店のセンス、言葉のセンス、etc。
美人は自己プロデュース力にも優れ、どこまでも完璧だった。一方私は見えない部分にも悩みを持つようになった。乳首や小陰唇の形や色を整形外科サイトなどでチェックしては自分は男からどう思われているだろうと1人静かに悩んだ。

そして社会人になった現在。相変わらず容姿は消えない問題として私の中に継続している。仕事をする上でも恋愛をする上でも、それは変わらず私を苦しめた。

幼少期を思い出す。
母は私を可愛いとは言わなかった。母はいつも、私の同級生や習い事の友達を褒め、「あの子は可愛い」と呟いた。
母は私を我儘な人間に育てる事を回避したかったのかもしれないし、他人の子を褒める事で私にやる気を出させたかったのかもしれない。
けれど、その効果は私にとって、母の想像に及ばない部分で副作用を出す事になった。

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美人に近づきたい!可愛くなりたい!というのは自己満足のためなのか、結婚を視野に入れた男性から選ばれる事を最終目的としたものなのか、全ての人から永遠にチヤホヤされたいという事なのか、分からない。
その全てがあってる気もするし、その全てがあっていない気もする。

10代の頃、憧れた韓国の女優さんが整形済だと知った時、決して小さくないショックと共に猛烈に整形への興味が湧いた。でも私にはそんな度胸もなければ、バレる前に人に告白する事も、黙り通す強さもないと感じた。
止まる事なく歳をとり、劣化が進む一方で美人は日々世に生産されていく。
生まれた時代や国が違ったのならもう少し生きやすかっただろうか。みんなが同じ顔と体型を持っていたら世界はもう少し優しかっただろうか。無意味な妄想と際限のない憂鬱を止める事ができない。

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綺麗な女優さんがよく言うように、歳を取ることが楽しみだなんて私には言える日が来ないだろうし、言いたいとも思わない。白髪やシワやシミや更年期障害という壁に、現段階では想像もできないような絶望やショックを感じる日が待っているのかもしれない。けれど、そんな囚われた暗い生き方をしていたいのか?とも思う。
そして、私が人生で深く関わりたい人たちはそんな事を重要視をするような人だろうか?とも思う。

もしかしたら自分が生まれ持った容姿は、他人の本当の人間性を見る1つの測りとした道具にも使う事ができるのかもしれない。肌の色、皮膚の質、声の高さ、髪の質、胸の大きさ、お尻の大きさ、体の形、パーツのバランス、誰かに自分のそれらを拒否されたのなら、私とその人はそれまでの縁という事なのかもしれない。

情報で溢れる少し息苦しい世界を楽しく生きる為には、誰かからの称賛を求め待つのでもなく、誰かの美に洗脳され振り回されるでもなく、どんな自分でも許し愛していくという気持ちを持てる事が大切なのかもしれない。