彼氏と会えない日常に慣れてしまった。彼氏とのデートが面倒くさい
21歳のとき、人生で初めてマッチングアプリをダウンロードした。
当時付き合っていた彼氏と、2年の記念日を迎えた頃。
少し関係性がマンネリ化してきて、付き合い始めた当初の頃のような、恋の駆け引きはなくなっていた。
遠距離恋愛だったから、会えない日々が続いた。
次第に私は「会わない彼氏」の存在に慣れてきて、「会う」ことが面倒になってきた。
当時大学生だった私は、卒業するまでの4年間、月曜から金曜まで大学に通って、勉学に打ち込んでいたから、遠距離恋愛の彼氏と会えるのは、授業がない長期休暇期間だけ。
私はもっと海外も見てみたかったし、バイトもしたい。
情熱を持って取り組んでいた学生団体の活動も続けたかったから、授業がない夏休みや春休みも、やることはたくさんあった。
それでも「会うこと」が一番大切だと言う彼氏。
私に「会うこと」を迫ってくるようで、私は「他にも大切なことがある」と、いら立ちを隠せなくなっていた。
彼は、「色んなことを理由にして会うための旅行計画を立てない彼女」が理解できずにいた。
喧嘩することや意見がぶつかりあうことが少しずつ多くなって、「もっと仲良かったのに」と思うことが増えていった。
女子会で話題のマッチングアプリを興味本位でダウンロードした
そんなとき、女子会でふと話題になった「マッチングアプリ」。
「東カレデート」で、年上の高収入男性を狙う女友達。
何人かの男性とデートに行ってみたはいいものの、毎回「趣味は?仕事は?休みの日は何してる?」の会話のオンパレードで、「初対面の人と話をして、それを恋愛まで発展させるサイクルに疲れた」と言っていた。
「マッチングアプリは無縁かな」と私は聞き流していたけれど、手を握ってくれる、お互い触れられる距離に彼氏がいないことは、やっぱり寂しかった。
寂しかったけれど、もう「寂しい」とは言えなくなっていた。
人肌恋しくなってしまって、TinderとBumbleの2つのアプリをダウンロードした。
Tinderは、マッチングアプリの代表格だと思ったから、ダウンロードした。
噂で聞く通り、身体目的の人が多い印象を受けたけれど、夜中にベッドで、特に考えずにひたすら右スワイプをして、何人とマッチできるかというゲーム感覚で使っていた。
マッチした相手と、いかにもワンナイトラブをするかのような会話をして、会う約束までして、その時点でブロックするという行為を繰り返していた。
新しい人と会話することは面白かったし、セフレもグレーな関係も経験したことがあるから、生々しいとは思わなかった。
「みんな寂しくて、誰かを求めて、ここにいるのだ」と思った。
皮肉だけど、私の仲間なのかもしれないと。
他方、Bumbleは、いわば女性優位なマッチングアプリだ。
マッチが成立しても、女性側からしかチャットを始めることができない。
女性側にファーストステップを踏み出す権利があって、つまり、男性側はマッチが成立したとしても、ただ自分が選ばれることを待つしかない。
真剣な関係を求めている人もいれば、ただ単に話し相手が欲しい人もいた。
顔とプロフィールを見て、「まあいいかなぁ」と思ったら右スワイプ。
右スワイプしてすぐに「マッチ」の表示が出ると、当たりくじを引いたような感覚があった。
何十人とマッチしたし、十何人と同時にチャットしていた。
私はわざとプロフィールをすべて英語で書いた。
元々よくハーフだと間違われるし、外国語も得意だったから、「海外で生まれて日本に帰ってきた帰国子女の女の子」のふりをした。
そうすると、外国の人とよくマッチしたし、私と英語の練習がしたいと言ってきた日本人もいた。
世界を飛び回ってきたような敏腕ビジネスパーソンもいた。
夜時間があるときだけ、位置情報をONにして、黄色のアプリを開く習慣がついた。
ただ、男の人を手玉に取って、会話で遊んで、つまらなくなったらブロックして、おわり。その繰り返しだった。
マッチングアプリでも埋められない寂しさは、生きている証拠
結局、私の人肌恋しい気持ちを、マッチングアプリは解決してくれなかった。
それでも、恋人と上手くいかないときは、アンインストールしたはずの黄色いアプリを、またインストールしてしまう。
誰かと話したい。
ただ、たわいもない会話に付き合ってくれる人が欲しい。
そんな寂しい夜は、深く考えずに右スワイプして、何人もの男とチャットをする。
マッチングアプリでは完全には埋められない寂しさは、人間として生きている証拠なのかもしれない。
言葉だけでは埋められない寂しさ。
隣にいてほしい。抱きしめてほしい。そんなことを想いながら、布団の端を抱きしめて今日も眠りにつく。