私はずっと、自分の身体が醜いものだと思っていた。
見た目は人が100人いたら1番といっていいほど醜く、人権など考慮せず容姿を否定する者が何人もいた。
インドのカースト制や江戸時代の身分制度の最下位に位置する人の中には、人権を無視した扱いを受けた者も多数いたと聞いているが、同様に最底辺に追いやられていた私も、もはや人権という一般常識が通じない世界に生かされていた。

廊下ですれ違えば醜いものとして避けられ、気に入らないことがあればブスだと罵られ、私のところへ寄ってくる者は一人もいなかった。
理由は簡単。スクールカーストで最底辺に追いやられていた私と一緒にいると、その一見で最底辺のものとして扱われてしまうからである。みな、プライドのために私を避けた。

◎          ◎

確かに無理はないと思っていた。
私は本当にかわいくなかったし、鏡を直視することができなかった。親しい友人もおらず、お金を払って得られる喜びしか知らなかった私は、食べたいものはすべて口の中に入れ、BMIは25を超えていた。おしゃれにも関心がなかったことから、確かに周囲の目は間違っていなかった。
醜いと言っていたのは、母親も同様であった。
どうしても理系に進学させたい母親は、文科系大学は就職活動時に顔で選ばれる、あなたはブスで肥満児だから文系なんて無理と、容姿に絡めて志望した進路を拒んだ。母親にとって重要なものは、私の人権ではなく、理系女子の母親というステータスであった。

学校にも家庭にも居場所がなく、容姿にも恵まれなかった私は、いつしか自分の身体を汚く醜いものだと認識するようになっていった。
月に一度、生理痛を感じた時は女であることを実感させられ、そのギャップには不快感を感じずにはいられなかった。失われた女性性と成熟する身体とが混じり合った感覚は、その都度、最底辺を生きる女性であることを実感させられるときであった。
通っていた女子高で下ネタの話になると、
「好きな人とやるより、そうでない人からお金をもらっての方がいい」
と言ってはよく引かれていた。それほどまでにも私は自分を大切にすることができなかった。

◎          ◎

悩みを打ち明ける人がいなかった私は、時々自分の身体を丸めて、一人で悩みを抱え込んだ。
その時見えた身体一つ一つのパーツ。白い肌。小さな手。ふとその一つ一つをいとおしく感じた。これまで散々周囲の人から侮辱され続けた身体であるが、それを守るのは私しかいないと思った。

それからというもの、現実逃避せず自分の身体と向き合い、10キロのダイエットに成功し、異性からも女性として見られるようになっていった。
それなりの学歴のあった私は、今まであこがれの言葉でしかなかった「才色兼備」という言葉を周囲からかけてもらえるようになり、前を向いて堂々と歩けるほど自分の容姿を受け入れられるようになっていった。
そして気づいた。
自分の身体を醜いと感じていた時、その身体を最も嫌っていたのは、私自身だった。
私は現実逃避という手段を使って自分から逃げていたのだ。だから、今後身体の容姿が崩れることがあっても、この経験を通して大切にしていこうと心に誓っている。

◎          ◎

誰も大切に扱ってくれなかった私の身体。守るのは私しかいないと知ったから、たとえそれがどんなに醜いものであっても価値のないものであっても、私はそれを大切にしていこうと思う。
だから周囲の人も、せめてこれからは醜く拙いものとして冷やかしたり見下したりするのではなく、大切にしている人もいると思って、傷つくことを言われたら悲しむ人もいると思って、扱ってくれたらなと思っている。
私は何と言われようと、私の身体を大切にして生きていく。