私はおっぱいが小さかった。思春期を過ぎても、ハタチになっても、ブラのサイズはアルファベットの先頭文字。谷間なんて出来たことがない。
普段着はまだましで、水着やドレスアップするときはどうしても貧相に見えてしまう。デザインを選ぶのはもちろんのこと、パッドをつめたり、ヌーブラをしてさらにブラをしたりと色々工夫が必要だった。もちろん、豆乳飲んでも、筋トレしてもダメ。
男子の目線は置いておいても、女子の仲間内でも貧乳であることはしばしば自虐やからかいのタネになる。大学時代、サークルの同期と温泉に入った時には「本当に“まったいら”なのね!」なんて言われたことも。すごく惨めな気持ちになって、その場を笑って誤魔化したか、さらに自虐を重ねたかは覚えていない。
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彼氏ができたときは、余計にその大きさが気になるようになった。老けて見える顔立ちと中肉中背な分、普通の服を着ているとそこまで小さいように見えないこともさらにハードルをあげているような気がした。
胸がないってわかったら、がっかりされるんじゃないか、と不安になってばかりで自信もない。とにかく、思春期からずっと自分の好きになれないところのひとつだった。
けれど、この何をやっても効果のなかったおっぱいが変わった。きっかけは昨年妊娠し、今年に入って出産をしたことだった。
妊娠中からおっぱいが張って少しずつ大きくなった。でもそれ以上にお腹が大きくなったり、つわりなど色々な体の変化があって、長年の願いが叶ったことに喜ぶ暇はなかった。
私の通っていた産科では妊婦健診で何回かに一回、助産師さんに胸の状態を診てもらう日がある。そこで人生で初めて「いいおっぱいね。赤ちゃんもきっと飲みやすいわ」と今までのコンプレックスだった部分を褒められたのだ。
赤ちゃんが自分の乳首を吸うという実感が湧いていなかったからか、私は嬉しさよりも新鮮さを感じて、そして早くお腹の中にいる娘に会いたくなったのを覚えている。
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実際に娘が生まれてみると、昼夜問わず求められ、吸われ続けたおっぱいは最初の1ヶ月でボロボロになった。
赤ちゃんが口に咥える度に激痛が走る。それにも関わらず、吸わせないと数時間で陶器の茶碗が入ったように硬くなり、勝手に母乳が溢れてくる。しばらくすると、吸わせる時の痛みもなくなり、人間の体の順応性に感動した。
授乳が毎日のルーティンになると、この子の命をつないでいるのは私のおっぱいなのか……という使命感にも似た気持ちを覚えた。その頃にはもう大きさや形なんて心底どうでも良くなってきていた。
少し大きくなったところで、世間からしたらいまだ貧乳のカテゴリーになるはず。でもそんな評価なんて何になるのか。幸いにもすくすくと育ってくれている娘。その成長が心から嬉しいと思ったとき、自分の体を肯定できた気がした。
ここから先、おっぱいがしぼんでも形が崩れても、昔感じていたように自分の体にがっかりすることはない気がする。
おっぱいは男性を惹きつけるための道具でもなく、ましてや自分の見栄や自尊心を満たすものではなかったと知ったから。