私は子供の頃、スポーツが好きだった。
運動神経がいいと言われていたし、自分でも足は早い方だし、水泳もテニスも得意な方だと思っていた。
大人になった今、体を動かすのは嫌いで、高校・大学では文化系の部活やサークルを選んだ。
それは、スポーツの楽しさを忘れてしまったからではない。
スポーツをする上では、自分らしくいることをやめなければならないというルールに従いたくなかったから。
スポーツする上では、理不尽な上下関係も飲み込みなければならないというルールに従いたくなかったから。

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スポーツ系の部活には、不思議なルールがたくさんあった。
今は校則の見直しも入って変わっているかもしれないが、私の中学では、野球部は全員坊主がルールだった。
野球がいくら得意でも、坊主にしなければ退部させられるその仕組みが、当時からずっと理解できなかった。
バスケ部も、女子でさえ全員スポーツ刈りのようなヘアスタイルがルールだった。
後輩は先輩の荷物まで持ち、先輩のウェアを自分の母親に洗濯してもらい、先輩のマッサージをする。
コーチに殴られても、黙って従順に従わなくてはならない。コーチが絶対、先輩が絶対の世界。
そのいきすぎた上下関係や、後輩に課せられる業務の多さに驚き、スポーツの世界に進むことをやめたのだった。
ニュースでも、いきすぎた指導により、身体的にも精神的にもダメージを受けた、というスポーツ選手の告発は珍しくない。
スポーツ選手がメイクをすれば、「そんなことしてないで練習しろ」と批判の声が飛ぶ。
もちろん、私が知っている範囲のことではあるし、狭い認識であることは自覚しているものの、スポーツの世界は人間関係が大変そうだ、というイメージがある。

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スポーツをしたいだけなのに、自分らしさが失われたり、理不尽なルールに従わなくてはならないというスポーツ界の残酷な一面は、もうたくさんだろう。
スポーツを楽しみたいだけの選手たちが、子供たちが、コーチに殴られるとか、セクハラをされるとか、先輩に奉仕しなければならないとか。
そんなことが、「そういうものだから」で片付けられるのはおかしいと思う。
だから、自分たちが経験して来た不当な実態を世間に発信しようとする声を、私は支持したい。
彼らが発信することで困る人がいることは理解できるし、計り知れない責任を背負っていることも推測できる。
でも、どんな状況であれ、自分の苦しみをきちんと「苦しい」と感じ、「助けて」と発信できるその勇気を尊敬するし、応援したいし、私も見習いたい。

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不当に暴力を振るわれるスポーツ選手がいなくなりますように。
不当な上下関係を強いられて苦しむスポーツ選手がいなくなりますように。
守る理由もわからないようなルールや世間の声に責められて、自分らしくいることを諦めるスポーツ選手がいなくなりますように。
スポーツ選手はそういうものだから、と、メディアにファンにスポンサーにどんな言われようをしても反応できずに苦しむスポーツ選手がいなくなりますように。
全ての人が、スポーツを純粋に楽しめる世界になりますように。
もし自分に子供ができた時に、自分らしくスポーツ系の部活を楽しむ姿を見てみたい、そしてそれを心から応援できるようになるといいなと、願ってやまない。