私は地味でモテなかった。そのため誰かをふるも何も、相手がいなかった。誰かにふられるも何も、付き合っていなかった。
学生時代の私は、運動が苦手で、校則を守りきるお堅い人だった。眼鏡をかけてオシャレに疎い、そんな私は人気が出るはずもなく、周りから真面目ぶっていると思われるような暗い人だった。今の言葉で言う陰キャと呼ばれる部類に属した。
そのため、異性に話しかけられることも少なく、むしろ陰でコソコソと悪口を言われるくらいだった。

そんな私は、社会人になったのを機にコンタクトデビューをした。仕事でうまくいかないこともあったが、昔の自分から変わってみようと、地元のミスコンに出てミスとして活動するようになった。すると、周りの私に対する見方が少しずつ変化していった。
仕事場では、子どもたちから「先生かわいい」「先生キレイ」と言ってもらえた。同じ職場の異性の先生から、連絡先を教えてほしいと言われることもあった。

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あるとき、学校で仕事をしていると、少年サッカーチームの顧問に話しかけられた。その人は私より15歳くらい年上で、サッカーをしていることもありワイルドな感じの人だった。子どもと関わる仕事という共通点があったので、話が合い、その人とは何度か食事に行ったり電話をしたりした。
ある日のこと、いつものように電話をしていると、
「わか、付き合ってくれないか?」
と言われた。
驚いた。私は仕事関係の人だと思っていたし、特に彼を異性として見てはいなかった。動揺してすぐに返事をできずにいたら、続けて言われた。
「わかと結婚できるんだったら、1億円は出せる」
時給数百円レベルで働いていた私にとっては、到底稼ぐことのできない金額が出てきてさらに驚いた。また、実際に1億円は今の段階で払える状態であるということにも驚きだ。

それと同時に違和感を抱いた。
私を1億円で買い取るということ。私の人生を、1億円でお買い上げするということか。
確かに、これから生きていく上で、どうしてもお金は必要になってくる。1億円あれば、夢の1つであるマイホームを建てることができる。ほしいものだって今より容易に買える。節約するために一駅分歩いて帰宅しなくてもいい。買い物だって特売日ばかり狙わなくても大丈夫。それは私にとっていいことだ。
楽になれる。働き方だって今みたいに必死にならなくても、それなりに裕福な生活ができるに違いない。深く考えなければ楽で裕福な暮らしができるなんていいなと、感じた。

でも、私はそれで満足できるのか。相手が私を1億円で買ったのだからと楽をし続けることがいいものなのか。そもそも、私の目の前にいるこの人と、これから生活して良い家庭が築けるのか。人をお金で買おうというような考えを持つ人と一緒になって、幸せになれるのか?……いや、なれない。

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「私は、お金で釣られるような人間ではありません」
私は考えた末に強い口調で言った。
「いやいや、そうだろうけど、君になら1億円出したって惜しくないってことだよ。それだけ素敵で、一緒になれるなら1億円だって出せるってこと。1億円の価値があるってことだよ」
相手は戸惑いながら慌てて答えた。でも、その答えも納得できない。
1億円の価値。私1人の人間が1億円と考えたらすごい金額だ。私が価値のある人間だということを表現しているのだろう。
でも、共に生活する中で、人の価値をお金で表現する人である。私はもっと、心で通じ合える人と過ごしたい。

「付き合えません。私はお金で買える人ではありません」
とはっきりふった。電話の向こうから鼻をすする声が聞こえた。
少し申し訳なくなった。でも、私はふって正解だったと思っている。お金で買うことができない大切な人と出会えたから。