「タカアキくんはいじめていいんだよ」と、転校初日に教えてもらったルール。
幼い私は特に疑問を持つことなく、「そうなんだ! わかった!」と、返事をした。タカアキくんはいじめていい! これはこの学年の児童はおろか、先生にすら浸透する暗黙のルールだ。
「タカアキくんはいじめていいんだよ」と刷り込まれたルール
小学校3年生に上がる時、転校して新しい小学校に来た私を待ち受けていたのは、顔馴染みの女の子達であった。先生が気を利かせてくれたのだろう、クラスは同じ幼稚園出身の子達ばかりだった。
「久しぶりだね、学校案内するよ」なんて歓迎の言葉の中で、さも当たり前のように出てきたこのルール。「あの子タカアキくん。タカアキくんはいじめていいんだよ」その瞬間、刷り込まれた。タカアキくんはいじめていい。みんなが言うなら、きっとそうなんだろう。
タカアキくんは、確かに変わった子だった。何が変わっているのかといわれると、なんとも言い難いのだが。足が遅い。足し算、引き算がおぼつかなかったり、いきなり鼻をほじって食べたり、ちょっと不潔。まさにターゲットに成り得る児童であった。
小学生のいじめは幼稚で、単純で、残酷だ。ドッジボールをすれば、男子達は当然のようにタカアキくんを狙い、ボールを全力でぶつけた。女子達は外野で「ヤダー」なんて言いながら笑っていた。先生も笑っていた。残念ながら私も、笑っていた。
小学生にありがちな“バイ菌扱い”もあった。タカアキくんに触ると“タカアキ菌”が移って、それを他の人にタッチして移す。バイ菌鬼ごっこの始まりだ。タカアキくんが来たら、「バイ菌だ! 逃げろー!」と、タカアキくんはいつも鬼だった。
「タカアキくんはいじめていい」ルール、なぜ守ってしまったのか…
小学6年生の時だったと思う。誰かが暗黙のルールを破った。先生が会議にかけたのかもしれないし、勇気ある児童が声を上げたのかもしれない。とにかくその日の1時間目、タカアキくんだけ他の先生に連れ出されて図書館へ、残りのみんなで学級会議が始まった。
担任の先生は、暗く重い口調でこう切り出した。「タカアキくんが、いじめにあっています」。今更何言ってんだコイツ。「みんなどうしてタカアキくんにいじわるするのか、教えて?」
窓際の列の1番前の子から順番に、無慈悲な発表会が始まった。「なんとなくです」「みんなやってるからです」「なんか不潔だからです」と言った。私も何が酷いことを発表したと思う。
全員発言したところで、先生はため息を吐きながら言った。「じゃあタカアキくんがこんな風にいじめにあっていること、タカアキくんのご両親が知ったら、どんな気持ちになるかな?」
「産まなきゃよかったって思うんじゃない?」誰かがそう言った。そして、私は我に返った。最低だ。私含め、ここにいる全員。「なんとなく」そんな理由でやっていい事じゃない。
「産まなきゃよかった」なんて、そんなこと思うものか! 少なくとも私が母親だったら、悲しくて悲しくて仕方がないはずだ!「タカアキくんはいじめていい」……こんなルール、なぜ守ってしまったのか! 私は自分が、心の底から恥ずかしくなった。
ルールはそう簡単に変わらないけど、もっと早くルールを破っていれば
先生は「まあ、これからは仲良くしてあげてよ」と適当な言葉でこの学級会議を締めた。図書館から戻ってきたタカアキくんに、男子達が「タカアキ! サッカーやろう!」と声を掛けていたことをはっきりと覚えている。タカアキくんは、とてもとても嬉しそうに笑っていた。
次の日から、またルールは復活していた。“ルール”というものは、そう簡単に変わったりしないのだ。ただ一部の児童はルールを破り、タカアキくんと普通に接し始めた。私ももっと早くルールを破っていれば。ただただ、自分が恥ずかしい。