子供の頃。肝臓に持病があった私は、年に一度、2泊3日の検査入院をするのが恒例行事だった。
全身麻酔での内視鏡検査。前日からの絶食と麻酔のために服用する不味い薬。何度経験しても慣れない手術室に入る前の緊張感。検査終了後、麻酔の残る状態で目覚めたときに感じる吐き気や頭痛。
辛い場面は多く、特に小さい頃は検査の痛みや絶食時の空腹に耐えられず、泣いて母親を困らせたりもしたが、病院にはそんな私の辛さを救ってくれる場所があった。

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小児科病棟に存在した「プレイルーム」との出会い。
その場所は、テーブルだけでなく沢山のおもちゃや本が置いてあり、遊んだりご飯を食べたりすることができた。
そのため、「プレイルーム」には病院での退屈な時間を持て余した、同じ病棟に入院する年齢もバラバラの子供たちが集まり、一緒に時間を過ごしていた。
ダウン症の男の子が、言葉は発さずともにこにことした笑顔を向けてくれる姿が可愛く、男の子の傍を離れたくなくなったり、おやつの時間にお菓子のパッケージの開け方が分からない私に中学生の女の子が親切に教えてくれたことをきっかけに仲良くなり、一緒にビーズ手芸を楽しむようになったり、当時小学生だった私を始め、年下の子に優しく、一緒におしゃべりしたり楽しく遊んでくれる高校生の男の子に淡い恋心を抱いたこともあった。

また、仲間外れや悪口などが日常茶飯事で、もっと殺伐とした雰囲気だった学校の教室とは違い、それぞれが病気を抱えていることで、命や今目の前の時間の大切さを実感していたからかもしれない。
なぜか「プレイルーム」では、小さい子も、大きい子もみんなが仲良く一緒になって楽しく遊ぶ。温かい雰囲気で満たされた空間は心地よく、私は検査前で絶食中の時でさえ、みんながご飯を食べる「プレイルーム」で過ごしたがり、親や看護師さんをあきれさせたこともあった。そのくらい、私は「プレイルーム」で過ごす時間が大好きだったのだ。

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「プレイルーム」に出会ってから、私は毎年の検査入院をそれほど苦に感じることがなくなった。毎年のように会う常連さんもいたため、友達と会うことを楽しみに、ワクワクした気持ちになることさえでてきた。自然と辛い検査に対しても、頑張ろうという気持ちになれた。
プレイルームで仲間と過ごす時間は、私にとって辛い検査を乗り越えるモチベーションで、何よりのご褒美だったのだ。
私と同様、辛い検査や治療を受けているはずなのに、「プレイルーム」で過ごす子供たちがみんな元気いっぱいで、明るい笑顔で溢れていたのは、彼らにとっても「プレイルーム」が心の拠り所になっていたからではないだろうか。

成人した私は移植手術を受け、驚くほど体が軽くなった。
検査を受ける必要はなくなり、体の怠さや痛みのない、健康で過ごせる生活は何よりの宝物だと思っている。
一方であの頃、「プレイルーム」で仲間達と過ごした時間は、今でも私にとって忘れることのない、とても大切な思い出で、彼らが今元気で過ごしていることを切に願っている。