某年の3月末日、お風呂から上がった私に、その時は突然訪れた。
リビングに正座で座り込む彼。
彼が神妙な面持ちで発した言葉は「別れようと思う」だった。

布団の中で、思い出が月9のように美しくまとまり、脳内で再生された

一瞬のうちに頭が真っ白になる。
彼が話すそれはすべて異国の言葉のようで、耳には入っても脳内で処理されることなく体中を彷徨った。
ペラペラと話し続ける彼を見ながら、何か別の世界のことを考えていたような気がする。
ショック、辛い、悲しいという感情はまだ追いついていないはずなのに、無色透明の涙だけがただ流れていた。

私はこれまでの人生で、それなりに恋愛を経験してきたつもりだ。
すがり付いても無駄だということは、すでに学んでいた。
彼の言葉を一通り聞き、「疲れたから寝る」と布団に入ってからは、これまでの思い出がまるで月9のように美しく仕立て上げられ、脳内で再生される。
すでに脚色された思い出に、「ああ、終わったのか」とようやく本物の涙が流れた。
そうしてやっと、彼が私にこぼしていた言葉を母国語に変換し始めることが出来たのである。

思い返せば彼は小一時間ほど私に言葉を発し続けていた。よくもそんな長台詞を覚えられたものだ。ただ、今でも私が覚えているのはたった一言だけ。
「ぶりっ子するところが嫌だった」、という間抜けな一言。どんなに呆然としていても、その言葉だけは全身に強い衝撃を与えた。ぶりっ子とは……?

また「ぶりっ子」と言われないよう、ただビクビクしていた

それからというもの、私は「ぶりっ子」について考え続けた。
私のどこがぶりっ子だというのだろうか。友達にはサバサバしていると言われるし、彼とは3年以上付き合ったため家族のような関係性だったのに。
考えて考えて、数年が経ってしまった。

そうして私は様々な恋愛を潜り抜け、結婚という道を選んだ。
この人となら私らしく生きていけるだろうと思える人に出会えたのである。
しかし、そんな幸せな瞬間を迎えてでも、私は「ぶりっ子」という呪いから抜け出せずにいた。またぶりっ子だと言われないよう、どのように気を付ければいいのかもわからないまま、ただビクビクしていたのだ。

そんなある日、私は夫にかなりバカっぽい質問を投げかけた。
「私のどこが好き? 100個言って」
おふざけ半分で聞いたからか、夫からはふざけた回答ばかり返ってくる。
「いつも眠そうなところ」
「歩き方が変なところ」
「背が小さいところ」
そうしてようやく、それっぽい答えを聞くことが出来た。
「甘えてくれるところ」

頭の中で暗く黒い塊になっていた何かが、瞬く間にはじけ飛んだ

きっと彼にとって、はたまた世の女性たちにとっては、ありふれた言葉なのだろう。
しかし、世界中で唯一私にとっては、呪いを解く鍵となった。
頭の中で暗く黒い塊になっていた何かが瞬く間にはじけ飛び、あまりの衝撃に涙があふれてきたのを覚えている。
夫に見られたら変に思われると、照れたフリをして布団にもぐりこんだ。

そう、私はあの時も、甘えていたのだ。
「ぶりっ子」したかったんじゃない。甘えたかったんだよ。
しかし彼は私の甘えをプラスに受け止められなかった。
きっとその頃から私たちの関係は終わりに向かっていたのかもしれない。

誰かにとって別れるきっかけの1つとなるようなことが、別の誰かにとっては結婚を決めてしまうほどの愛になる。
そう気づけたことで、私にかけられた呪いは消え去った。
人は自分を抑えてまで変わらなくていい。
ありのままの自分を受け止めてくれる人が、この世のどこかにいるのだから。
誰かの言葉に傷つけられたとしても、呪いで自分を縛り付ける必要はないのだ。

そうして私は甘え上手を武器にすることにした。
夫には甘えに甘えて、自分らしく生きていく。
もう私を縛るものは何もないような気がした。