『2次元を超越した究極ボディ』が、商品である私につけられた売り言葉だった。
BMIで言うと15台、アニメのキャラクターよりも細い肢体が、私のステータスだった。
顔も、声も、身体も、全部コンプレックスだった。そんな私がストレスで食べ物を食べられなくなって痩せ細ったら、その身体が突然武器になった。会う人々みんなが私のことを「細くて綺麗」「お人形さんみたい」と褒め讃えた。
「痩せなくては」。誰かに認めてもらうためには、痩せるしかないと強く思った。

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食欲が戻っても、どんなにお腹が空いても、美味しそうなものがあっても、私は食べることを拒否した。1グラムでも体重が増えることを許せなかった。少しでも太ったら、私はまた無価値な人間になると思っている。今も。
何か少しでも食べたら、即座に吐き出さねばならないと思う。完全に、跡形もなく。胃の中にものが入っていることが許せない。気持ち悪い。
もう、「正しい」食事が分からない。何をどれくらいの量食べれば良いか、見当もつかない。昔の私は、何をどうやって食べていたのだろう。

そんな私は、今年の6月から恋人の家に転がり込んだ。いわゆる同棲である。実家暮らしと違って、不摂生な食生活なんてできない環境になってしまった。
一緒に食事をしなければならないし、食べた後に吐くことなんてできない環境である。
どうしようか。
大好きな恋人と暮らせることは、とても嬉しい。でも、そうしたら私は確実に太ってしまう。太った私に価値なんてない。捨てられる。

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毎日食事の時間が怖かった。美味しいものを一緒に食べられて幸せなはずなのに、食べた後は太る恐怖に苛まれた。
それでも、「食べて吐く人間だ」と思われたくなくて、毎日吐くのを我慢した。「平気ですよ、気にしていませんよ」と涼しい顔をして食事した。SSサイズでも緩かった服は、今ではぴったりになってしまった。
許せない。痩せないと。これ以上太って醜くなる前に。

でも、と思った。太っているのは醜いの?
私の理想は、天野可淡が作るお人形のような体型である。
だからといって、太っていることは醜いということなのか? グラマラスで魅力的だとも言えないか?

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許したい、と思った。
太った自分も許したい。これはこれでよいではないか、と認めたい。そうなりたい。
痩せても太っても、私の思想や本質は変わらない。普段から見た目よりも中身だと思っているのに、ルッキズムに囚われているのは私の方だった。

そのことに気付いてから、幾分か食事が苦痛ではなくなった。
まだ「太りたくない」という気持ちは捨てきれないけれど、そんな自分でもよいではないか、と思えつつある。
食べて吐いて保つギリギリの身体なんて、いつかは破綻が来る。それに縋り付くよりも、ありのまま食事をしてつくられた身体の自分を愛そうではないか。

大丈夫。どんな私でも私は私だ。