はじめまして。Kotono in midnightと申します。今日はいきなり心を開いて話すことになりますので、どうぞお付き合いよろしくお願いします。
まず「自分の身体とどう付き合っていく?」、この問いの答えは「結構テキトーに」とさせてください。
でも、話したいことがあるんです。
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さて、突然ですが、私は自分で言えてしまうぐらい、子どもの頃からずっと痩せています。体質もありそうですが、それだけでもなさそうなんです。
小学一年生の頃に軽い拒食症を患ってから、満腹に対する恐怖心を今でも完全には克服しきれていませんし、学生時代のとある陰口では「琴乃は骨みたい、気持ち悪い」でしたし、ストレスがすぐに胃腸の働きを弱め、どんなに美味しい料理でも味がしないことは今でもたまにあります。
こんな調子なので、体型に付随する悩みは尽きませんでした。
それでもやはり周知の通り、ルッキズムがはびこるこの社会では、痩せてることが良しとされてきたじゃないですか、だから羨ましいと褒めてもらえることも正直ありました。
そんなとき、少しでも嫌味のないよう細心の注意を払っていた上に、「もっと食べや」と何故か指図までされても絶対に愛想良く振る舞わなければならないと思っていたのです。相手が嫌味っぽかったり、失礼な態度でも、です。
私の悩みは誰にも話すことが許されないように感じていました。私はルッキズムに歓迎されると同時に、抑圧されてもいたんだと思います。
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しかし近年ボディポジティブが浸透し、その文脈からボディニュートラルという概念を知りました。
気がついたら自分の中に染み渡り、その中でポジティブにもネガティブにもなれないこの体型、「ところで私はどう思っている?」と問いかけるようになり、「ずっとこんなだし、正直これからもこんなで良いか、と思う」と雑念なく感じるようになったんです。
大抵これまでの悩みは他者が絡んでいましたので、そこをちゃんと切り離せばするすると悩みは消えてゆきました。だから過剰に他者の目線を気にしたり、評価にサービス精神旺盛な対応をしたりせず、体型に関しては他者にも自分にも『テキトー』でいたいと思うようになりました。
大事なのは、私自身が自分に合う生活を送っているか、どんな人間性かであって、体型じゃない。
私は外見での自己表現が大好きなので、ファッションも本気で楽しみます。この気持ちは、絶対に体型によって制限されるべきではない。これはファッションが大好きな人全員に言えること。
だからボディポジティブという概念はファッション業界に多大な影響を及ぼし、急速に浸透しているんですよね。
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しかし、日本の現状はどうでしょう。
不況のせいも大きいですが、いまだにほとんどのブランドはサイズ展開がMとL、フリーサイズが中心ですよね。更に「夏までに身体を絞る!」「アイドルをお手本にモチベ高く痩せる!」とダイエットを煽る広告がいまだに街にもSNSにもあふれています。
ちなみに"フリーサイズ"、ずっと思ってますが、あれなんなんですかね。何基準のフリーなんだろうと頭を抱えることが多いです。
フリーであるべきはサイズじゃなくて美の基準。まず第一に、美の基準を自分の中に持つか持たないか。持つなら、どんな基準にするのか。
それらを私たちは選択する権利を持っているのに、長い間尊重されてきませんでした。美の基準があらかじめ決められ、押し付けられていた。それでも私たちは自分で責任を取ってきた。傷を背負ってきた。こんなこといつまでも続けていられません。
あなたが誰かに評価されても、その評価はあなたには関係がない。相手のものです。それに本来、誰も他者の外見を評価する資格などない。
ビリー・アイリッシュの「NOT MY RESPONSIBILITY」というショートフィルムに随分影響を受けました。
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わたしはこれからも『テキトー』に自分の身体と付き合って、クリアな身体のメッセージを受け取って、必要なときはケアをして生きていきたいと思っています。
こんな私だから、あなたが誰かに抑圧されたり、疎外感を与えられないことを願っています。選択の自由を感じられていますように。
身体のメッセージはひとりひとり違うはずですから。
あなたには、あなたからのメッセージだけを受け取っていて欲しい。