私は私のことを"大好き"だと思っている。
でもそれは、誰かが自分に優しさをもって接してくれていたからではないのか、いつしか自分を肯定してくれる人間を、信じることが出来なくなっていた。
オトナに近づくにつれてやってくる思春期、そんな繊細な乙女の心に傷をつけられてしまったみーね少女は、自分の身体とどう付き合っていく?
そんな題材をテーマに、今回は自分語りを書いていこうと思う。
私は幼い頃から、年上の方によく可愛がってもらったり、学校を転校したため、新しい学校では色々な人間からちやほやされたりと、とても充実した生活を送っていた。
自分のことを知らない誰かに自分を見てもらえること、自分よりも何か優れている人に肯定してもらえることが何よりも嬉しかった。
だが、年齢を重ねるにつれてやってくる「思春期」が、私を苦しめた。
小学校高学年頃から、みんなこぞって人の容姿をいじりあう風潮が始まった。
でも、私はどうでも良いと思っていた。
しかし、その矛先が私に向けられてしまった事で、人からの視線に長く苦しむことになった。
顔にコンプレックスがあった私に、息を抜くことを教えた彼
実を言うと、私の顔には「ケツアゴ」があり、家族にたまにいじられるくらいだったのだが、友達に笑われたり、手で顎を摘まんでバカにしながら真似をされたりした。
最初こそなんとも思ってはいなかったのだが、言われる度に心に傷がついていった。
よりによって、「お尻」の名前で、しかも「ケツ」という下品な響きの名前なものだから、よりいっそう悔しくなった。
いつしか私は私に自信がなくなっていった。
それからというもの、人の視線が怖くなり、毎日のようにマスクを付けていたのだが、夏場は暑くて着けられず外していた。しかし、その度にバカにされてしまった。
そんなコンプレックスを抱えたまま、中学、高校へと進んで行くのだが、私の持っていた自信はもうほぼなくなってしまっていた。
しかし、高校三年生の冬、私には恋人ができた。今まで数人と交際したことはあったのだが、この人は私に「息を抜く」事を教えてくれた。
もちろん、彼も最初は私をいじってくる嫌な人だったのだが、他の人のように容姿をいじってくるのではなく、私のちょっとした言い間違えなどをいじってくるのだった。
私はたまに、見た目のことで彼に話を聞いてもらっていたのだが、そのたびに「相手の言うこと全てに反応してるからじゃない?考えすぎなければいいんだよ」と言ってくれた。彼は、楽観的なところは多々あるものの、考え込んでしまう私の性格にはベストマッチしていた。
彼から褒められ続けることで、自信を取り戻していった
それからしばらくして、高校三年生の冬、私と彼は付き合い始めた。
それからというもの、彼はまるで別人のようにデレデレし始めて、私の顔をとても可愛いと褒めてくるようになった。毎日毎日褒めてくれる彼のおかけで、私は失ってしまった自信を徐々に取り戻していった。
今では「ケツアゴ」の事をチャームポイントだと思えるようになった。人とは違う、特別な個性を持てることに優越感さえ感じていた。
私は誰かに否定される事への恐怖で前に進むことができなかったけれど、自信を持たせてくれた彼への恩返しだと思って、もう一歩先へ勇気を持って進んでいこうと思えるようになった。
そして今度は、私が誰かを自信が溢れる素敵な人間にしたいと、強く思ったのだった。