私はとても背が低い。ものすごく低い。
調べてみると小学校4年生の平均身長と同じくらい、もしくは向こうの方が高いくらいだ。
ずっと背がコンプレックスだった。
「女の子だから小さい方が可愛い」という慰めは飽きるほど聞いたし、実際問題そう考える人も多いのも事実なのだろう。
それでも私にとってはコンプレックスだった。

例えば学生時代、黒板の一番上に手が届かなかった。
そのたびに誰かに助けられたり、椅子に乗ったり、誰かにからかわれたりした。
私はそれがものすごく恥ずかしかったし、怖かった。
「あざとい」「可愛い子ぶってる」と思われているのではないかと、酷く不安になった。
実際の学校生活で言われることはなかったが、前に出るのがとにかく憂鬱だった。

◎          ◎

成長期もむなしく過ぎ去り、私はこの身長のまま社会人になった。
そうすると今度は「あれが届かない」「制服が着られない」などという問題が発生した。
ありがたいことに、周りは優しい大人ばかりだったので笑って助けてくれた。

貴重な労働時間を私のせいで削ってしまうのも申し訳なかったし、背が低いからできない業務というものもあって、自分が如何に無力かということを思い知らされた。
私と同世代で私より5cmだけ背が高かった彼女はできて、私にはできなかった。とても惨めな思いをしたし、悔しかった。

私は悟っていた。勉強しても、努力しても、どうにもならないことがこの世にはたくさんあるのだ。
いくら恥じても、涙しても、悔しくても私はこの体と一生付き合っていくことを。
しかし悲観ばかりしていては、本当に私は惨めで身長通り「小さい人間」になってしまう。
そう思い直したのはいつ頃か。

◎          ◎

私は「可愛い」と思われたいわけでも、「可哀そう」と思われたいわけでもない。
そう思われないためには、自分が変わる必要があるのだと気づいたのはいつ頃か。

「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」
まさにこの言葉が私の意識を変えた(誰の言葉かは忘れた)。
私が憧れた「かっこいい」「綺麗」に近づけられるのは、結局のところ自分だけなのだろう。

周りに思われなくてもいい、私だけでも「私はかっこいい」「綺麗」と思えるようなスタイルを貫けばいい。もはや開き直りともいえる行為は、私を幾分か楽にした。

◎          ◎

では、私が憧れる人物像とはどういった要素を含むのか。
「猫目っぽいアイメイクが似合う人」
「雰囲気のある人」
「色白で肌がきれいな人」
「無駄なく引き締められた体」
「教養がある人」
「自分の考えをはっきりと持っていて、自分の生き方を出来ている人」
あげてみれば、私には身長以外にも磨くべき点がたくさんあった。
私が憧れる人物たちには、「身長」だけでは計り知れない魅力がたくさん詰まっている。もちろん長身への憧れは捨てきれないが、私が彼女たちを好きな理由は絶対に「身長」だけではない。
そうなれば、私も自分にできる努力を最大限尽くすべきだ。

私は知る。「身長」は私を構成する要素の一つで、私を表す全てではないことを。
この先、身長はコンプレックスのままだろう。でも仕方ない、一つくらい愛せない部分があってもご愛嬌なのだ。その他を磨きに磨いて、コンプレックスなど気にならないくらいに輝かせてしまえばいい。

私は身長がものすごく低い、だからなんだ。私には身長以外に語るべき魅力があるのだと、心から思える日まで頑張ってみようと思う。
大丈夫、目標に向かって努力する私は既にかっこいい人への第一歩を踏み出しているから。