私は子供を産みたくない。
でも、単に産みたくないというだけではなくて、産みたくないなりの理由が私の人生に詰まっていると思う。
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私はそこそこ裕福な家庭で、たっぷりの愛情と教育を与えてもらい、何不自由なく育った。そんな私が「産みたいと思えない」と言うと、人は不思議そうな顔をするか、子供が嫌いなんて薄情者なんだな、という顔をされるかどちらかだ。
子供時代から典型的な長女気質で、甘えるのが苦手な人間に育ってしまった私は、上手に甘えて自分の心を素直に表現し、母と心を通わせ合う妹たちがいつも羨ましかった。
なかなか自分の心を表現せず、感情を発散しようともせず、ただそのまま黙り込んだりする私は、なかなか母と心を通わせるのが難しかったし、扱いにくい子だったと今でも言われる。
誰が見ても幸せな家族の中にいるけど、毎日一緒に過ごしているけど、なぜか寂しい。そんな気持ちをいつも抱え、母にも心のうちを明かさず、長女という立場に躊躇して妹たちにさえ何も相談できなかった。兄弟喧嘩ひとつとっても、長女だからと我慢させられたりすることも多かった私は、思春期になってますます心を閉ざした。
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そんな私が、大学入学後は一人暮らしを始め、そのまま就職し、今の夫と出会う。そしてトントン拍子で24歳で結婚したのだ。
予想外だった。
どこか現実的で結婚したいと思ったこともなければ、結婚生活に夢を抱いたことのなかった私だったけれど、夫という存在は思っていた以上に私にとっての安らぎの場所になった。
子供の頃の鬱憤を晴らすかのように夫に全身全霊で甘える毎日は、心が解放されていくようで居心地が良かった。世界で唯一の理解者と一生一緒に暮らせるという約束も、私の心に安らぎを与えてくれた。人生で一番心を解放して、なんでも話したし、そうできる自分が好きで幸せだと思った。
だから「産みたくない」と思った。
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人はそれをわがままだと思うのだろうか。子供が欲しくないなんて薄情者だと思われるのだろうか。
当たり障りなく、社会のレールに乗ることを重視して人生の選択をしてきた私にとっても、「産まない」は簡単な選択ではない。産んで子育てをしていたほうが楽かもしれないとも感じることもある。
そもそも世間からの目を気にして決めることではないし、同調圧力のようなものに反抗したい気持ちもあると思う。第一に、やっと見つけた夫という存在を誰にも取られたくない。自分の気持ちと折り合いがつかないのだ。
「産みたくない」。でも一生子供に会いたくないわけでもないと思っている自分もいる。
世間からの同調圧力やしがらみ、世間体、自分の過去から生まれた価値観。全てを解決とまではいかなくとも、納得するまで考えて「いまだ!」と感じるときになら産んでみたい。
私は私なりに自分の心に折り合いつけて選択をし、「気持ちよく産みたい」だけなのかもしれない。
私は私の選択をしたい。