わたしは、わたしのことが大嫌いだった。
エラが発達したホームベース顔。
人より多めな立体ほくろたち。
主張が強めな蒙古襞が邪魔をする控えめな二重。
節々が太くて皺が目立つ手指。
中途半端な歯並び。
剃ると必ず埋まるムダ毛たち。
仲が悪くて谷間が出来ない胸。
全部ぜんぶ、気に入らない。
なんであの子は、あんなに可愛らしい顔立ちをしているのだろう。
なんであの子は、あんなに細くて華奢な身体を保っていられるのだろう。
なんであの子は、歯列矯正とか全身脱毛とかできるお金があるんだろう。
なんで、なんで。
テレビも雑誌もSNSも、より良くなるための改造方法しか教えてくれない。
やれダイエットしろと、怪しいサプリや美容外科の広告が車内で踊っている。
やれムダ毛は悪だと、制服を着た高校生(今は小学生がターゲットらしい)を脅すかのような言葉がYouTubeをたのしむ耳を刺す。
やれ笑顔が汚いと、歯を白くし理路整然と並ぶよう指示してくる。
全部ぜんぶ、商売だってわかってる。
それでも、わたしがわたしを認められる隙すら、世間はカケラも与えてはくれない。
◎ ◎
ボディポジティブの時代だと、みんなそのままが美しいと、ちょっと前から“大人たち”が騒ぎ出した。
確かに、ほんのちょっぴり、気持ちが楽になった。
クッキーの型みたいに、みんなおんなじじゃなきゃだめな時代は終わった。
だけど、待て待て“大人たち”よ。
多様性は、流行りじゃない。
今シーズンは何色を取り入れましょうとか、そういう話とは違うでしょうよ。
ハイブランドのプロモーションに、ひとり黒人を混ぜたからなんだ。
ランジェリーのSNSに出てくれる、プラスサイズモデルを一般公募したからなんだ。
ジェンダーレスコスメだと、男性俳優にコテコテのメイクをしたからなんだ。
来シーズンは一体どうするつもりなんだ、“大人たち”よ。
黒人から東洋人に、プラスサイズからマイナスサイズに、男性俳優からトランスジェンダーモデルに。
乗り換えていること、使い捨てていること、ちゃんと見ているぞ。
肌の色も、体型も、ジェンダーも、わたし達が永遠に共に生きるアイデンティティだ。
◎ ◎
わたしは、わたしのことが大嫌いだ。
だれもわたしの美しさを教えてはくれない。
だれもわたしの美しさを認めてはくれない。
だから、自分で探すことにした。
わたし自身の、美しさを。
そうやって、わたしはカメラの前で裸になった。
世の中はわたしを、ヌードモデルと呼ぶのだろう。
そうして卑猥な言葉を投げつけ、性的なコンテンツとして消費されるのかもしれない。
別に、そんなのどうでも良い。
ただわたしは、わたしの身体を離れた場所から見てみたかった。
この場で、わたしはわたしのことを好きになれたと言えたなら、どんなに良かっただろうか。
見方を変えれば、それぞれの身体にも良いところがあるよって、大きな声で言えたなら。
そんな世界が訪れる日を、わたしはまだ想像すら出来ていない。
ただ、悪くないなと思えるようにはなった。
わたしも、悪くないなと。
ごく稀に、不意に、気まぐれに。
わたしの身体を、わたしのままで生きられるようになった。
これからも、きっと、ずっと。
わたしは、わたしの身体と生きていくしかない。
半分は諦めて、半分は期待を込めて。