服を選ぶとき、昔から私は「女友達から、悪口を言われない服装」を選んでいた。
女子のなかで、よく悪口の標的になるもの。それは、男に媚びた服装である、ということ。
例えば、女子アナみたいなレースのスカートや、体のラインが出る服は「可愛い」のあとに「男にウケそう」と続くことが多い。

女が放つこの「男にウケそう」という言葉には、単純に男性が好みだという意味はなく、往々にして、あなたは「男を軸にして価値基準をしているわね」という意味も含まれていると思う。
学生時代の私は、この女性の言葉が怖くて、とにかくご法度に触れないように洋服を選んでいた。大きい胸を強調しない服を、女性らしいスカートではなく、脚を出さないパンツを履いていた。

「可愛いと思う」。何気ない友人の言葉が私に変化をくれた

高校を卒業してもそれは変わらず。私は、いつもと同じような代り映えのない服を着て毎日を過ごしていた。
ある日の学校で、友人数人と会話をしていたときのことだ。友人の1人が、学年で有名なモテる女の子のファッションについて毒を吐いていた。

モテる子が着ているピッタリとした服は、胸を強調するために着ていて、本人が自覚してやっているのが気に入らない、という内容だった。
「うざい」「狙いすぎ」「遊んでる」なんていう会話が飛び交うなか私は、憂鬱な気持ちを感じながら、どう適当に相槌を打とうか……なんて考えていた。

「私は、可愛いと思うな」
そう唐突に呟いたある友人に、わたし含め、みんなの視線が集まった。

「だって実際可愛いし。胸だって、その子が持ってる武器なんだし」と、不思議そうに、でも当然のように言う友人に対して、私はとても驚いた。そんな考えは、思ったことなかったから。

“武器”
モテてるあの子は、友人曰く、大きな胸を“武器”と思っているらしい。
私は、友達から非難される障害と自分の胸を捉えていたけれど、武器という考えがあるらしい。
私は彼女の言葉が頭から離れなかった。

友人の言葉に背中を押され、いつもなら選ばない服を試着したら

次の休みにショッピングに行ったとき、モテる子を擁護した友人の言葉を思い出した。

その言葉が背中を押すように、私はいつもなら選ばない、袖なしのぴったりとしたノースリーブを手に取った。「試着してみますか?」という店員の声に案内され、私は試着室でそのノースリーブのニットに袖を通した。
鏡に映った自分の姿を見て、私は、雷に打たれたように気分が高揚するのを感じた。
「あっ」と驚くような、閃いたような感覚。

胸を強調しすぎるかも、と思っていたノースリーブはそれ程下品にはならず、綺麗に私の体を女性らしく見せてくれていた。大きい胸は、程よく女性らしさと色気が出ていたと思うし、もともと肉付きのいい二の腕は、袖がないのにあまり目立たなかった。
「あまり、こういうお洋服は着られませんか?」と聞く店員さんに対して、「着ません」と答えると、「似合ってるのにもったいない!どうして着なかったんですか?」と聞かれた。

私は、友人を価値基準に、洋服を選んでいた。
だから、その基準を脅かす私の女性らしい体つきは、障害としか捉えてあげられてなかった。“武器”という言葉と、自分を鏡で見た時の高揚が、もう一度私の背中を押した。
「買います」
気づいたら、私は店員に、そう言葉を発していた。

ささいな会話と一度の試着が、私のターニングポイントに

今思うと、なぜあれほど「男にウケそう」という言葉に恐怖心を覚えていたのかわからない。でもきっと「男にウケる」のは悪いことだと勝手に決めつけすぎていたのだと思う。

あれから、私は色々な服に挑戦するようになった。そこで、たくさん自分の好きな身体のパーツを知った。
もちろん嫌いなところも増えたけど、好きな部分がもっと多い。昔から嫌いだった胸は、今は私の女性らしさを象徴する“武器”にもなった。

ほんの些細な日常の会話とたった1回の試着だ。でも、私にとっては自分の体を好きになる、ターニングポイントになった。
嫌いな部分は、私にしかない“武器”になりうる。私はきっと、これからもそうやって自分を愛して、向き合っていくんだろう。