十代最後に着た、白地に紺チェックのノースリーブワンピース
白地に紺のチェックの、ノースリーブのワンピース。私の思い出の一着は、十代最後に着たワンピースです。十代最後といっても、中高生や二十歳直前のことではありません。それは小学校六年生の夏休みでした。
小学生の頃、特に夏休みはよくワンピースを着ていたように思います。
白紺チェック以外にも、ギャザーの入った薄ピンクのものやテディベア柄のくすんだ緑のものなど、何着か持っていたはずです。ズボンのように足にまとわりつかないから涼しく、また汗をかいたりどこか汚したりで着替えが増える小学生の夏休みに、ハンガー一つで済むワンピースが楽だった、という洗濯をする母の思惑があったのではないかと思います。
白紺チェックのワンピースは白地に紺という大人っぽい色合いではありましたが、大ぶりなチェックは白の面積が広くて明るさがあり、袖がないことも子どもの活発さに合っていたように思います。
一方で前面には丸い紺のボタンが上から下まで並び、腹部のベルトからひざ頭まで広がる裾にはかわいさがありました。それまで着たワンピースの中でも、特別お気に入りの一着でした。
自信がなかった私は、自然に制服以外でスカートを履くことを辞めた
翌年中学校に上がると、思春期に入ったこともあり、周囲ではおしゃれへの関心が高まっていました。私服だった小学校のときより、校則の範囲内で収めなければならない制服の方が、なぜだか個人差がよりよくわかりました。
スカートやセーラースカーフの長さ、靴下の折り方。髪を結ぶ高さや、ヘアピンの使い方。そういった試行錯誤に、私はついていけませんでした。
制服が嫌いだったわけではありません。かわいいものに興味がなかったわけでもありません。ただ自分をかわいく見せたいと思えるほど自分に自信がなくて、それよりも本や漫画を読むことが好きで、ただ規則として制服を着て、好きな本や漫画に没頭する方が自分に合っていると思っていました。別にそれが間違っていたとは、今でも思っていません。
しかし、自然に制服以外の服にもそういった思考が現れるようになりました。制服以外のスカートは、自分に合わない「かわいい」の象徴になったのです。
いつしか着なくなったワンピースを二十代でまた買ってみることに…
よく着ていたワンピースも着なくなりました。小五でほぼ身長の伸びが止まった私には、白紺チェックのワンピースだってまだ着られたはずだったのに、です。
パンツに、体形を隠すようなオーバーサイズのトップス。それが基本スタイルになりました。パンツだって、膝にかかるような短さであれば黒タイツ必須でした。
色はなるべく暗くて目立たない色、袖も丈も長くて自分を隠してくれるもの。中学、高校と制服以外でスカートをはくことはまずなく、大学に入ってようやく、私服にスカートが組み込まれるようになりました。
それでもワンピースは着ませんでした。おそらく着るよりもまず、組み合わせ等で雰囲気の変化を見込める、つまりは誤魔化せるスカートよりも、買うハードルがとても高かったのでしょう。結局礼服の類以外でワンピースを着ることがないまま十代を終え、二十代に突入しました。
そうしてようやくごく近年、普段着のワンピースを買いました。
きっかけはわかりませんが、「かわいい」の基準なんて人それぞれなのだから、自分の好きにすればいいのだと気付いたのだと思います。そもそも人の目なんて気にするほどのものではないし、私服として着るなら公序良俗に反していなければ良いのだと。
思い出として記憶に残る。自ら遠ざけていた「かわいい」ワンピース
そうして、ワンピースが着たいと思うようになりました。お気に入りだった、白紺チェックのワンピースのような、かわいいものが。
結局買ったのは、思い出の白紺チェックワンピースとはほとんど正反対といえるものでした。
ノースリーブではなく、長袖。裾もずっと長く、くるぶしが隠れるほどの丈。腹部が絞られていないAラインでボタンもベルトもなく、下にパンツの類を履くことも可能なデザイン。色も暗く、濃い配色だけ。一部にチェックの意匠があしらってあるのが、唯一ともいえる共通点でしょうか。しかしそれでも確かに、ワンピースです。
十年以上ぶりのワンピースですから、よくよく考えて買いました。試着もして、色違いをとっかえひっかえして悩みながら決めました。私の持つ服の中でも、特別な一着に位置付けられるワンピースです。
それでも、白紺チェックのワンピースは思い出の一着として記憶に残っています。あれは私が一度、自ら遠ざけてしまった「かわいい」であり、「好き」なのでしょう。
今更同じものが着られるとも着たいとも思いませんが、自らの思い込みで満足に着てあげられないまま、おそらく売るなり譲るなりすることになってしまったお気に入りのあのワンピースのことを、私はこの先服を買うたびに思い出すのだと思います。