私は「美」の基準について苦しみ、葛藤していたことがあった。
以前、あるエッセイで、自分の身体のコンプレックスについて記したことがある。
小学生から高校生の間に、私は友人やクラスメイトたちに身体のコンプレックスについてからかわれ、とても嫌な思いをした経験がある。
それをずっと引きずって、ウジウジしている自分。
高校卒業が近づき、「このままではいけない、自分らしく美しくなりたい」と思うようになった。
上京してから、私は努力を重ねて少しずつ変わっていった。
世間でのステレオタイプ通りにならず、自分らしくあることを決めた私は、今もそのときと同じ気持ちでいる。

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「美」の基準というと、日本は韓国から影響を受けているなという印象がある。
私自身も、韓国コスメや韓国料理が大好きで、数年前からずっとハマっている。
また、友人で韓国アイドルが大好きな子がいて、よく楽しそうに話してくれる。
韓国のいいものをたくさん知れて、個人的にはとても嬉しい。
その一方で、テレビのニュースや街中の人たちを見ていて思うことがある。
アイドルのようなメイク。
細い手足とくびれたウエスト。
キュッと上がっているヒップ。
そんな外見に憧れを持ち、「美」の基準として考える女性が増えている気がする。
男性の中にも、そんな「美」の基準こそが女性の美しさと考える人が多いようで、テレビのインタビューで「韓国アイドルみたいな子がきれいだと思いますね」と言っていた。

「美」の流行を取り入れてみたり、「こうなりたい」という目標にしてみたりするのはいいこと。
でも、「美」の基準は人それぞれ。
鼻筋が通っていない団子鼻でも、バストが小さくても。
それをコンプレックスと考える人もいれば、自分のチャームポイントだと前向きに考える人もいる。
メディアで取り上げられている「美」の基準は、世の中の100パーセントではない。
テレビで見かける芸能人で、私がきれいだなと思う人たちは、それぞれ違う美しさがある。
身長も体重も、顔や身体のパーツもみんな同じではない。
「美」の基準に近づきたくて、整形やダイエットをする人もいる。
それは悪いことではない。
だけど、「絶対に同じようにならなければ」と、頑張りすぎて自分をだめにしてほしくない。

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「美」の基準は義務ではなくて、「美についてこのような考え方がありますよ」程度に思ったほうがいいのかもしれない。
かつて、私が自分の身体について悩んでいたときも、結局、世間での「美」の基準や周りの発言に縛られていた。
コンプレックスと思っていたものを、自分の個性や魅力として考えられるようになったのは、祖母や母から掛けてもらった言葉からだった。
祖母は「自分らしさがある」と、母は「可愛らしい」と言ってくれた。

自分の「美」の基準を、他人に押しつけるべきではない。
変わりたいと思うなら変わる努力をすればいいし、そのままでいいなら「美」の基準と無理に合わせなくていい。
自分の美しさは、どんな姿でいるかは、自分で決めるもの。
だから、私も自分の好きなようにしている。
今ある身体の個性や魅力も含め、私は自分自身をもっと大切にしていきたい。