2022年現在、日本においてのかわいい、モテる女の子の外見はこうだ。

人間味のある血色を顔面から取り除いた真っ白な肌、湿気によるうねりすらも許さないストレートヘア、目は大きければ大きいほど良しとされるぱっちり二重。この3点が重要なポイントを占めていると思う。
2022年現在といったけれど、今に始まったことではなく、私が小学生の時から、かわいい外見の定義はそんなに変わっていない。

一方で、私の見た目はどんなものかというと、かわいいの真逆だ。現在、日焼けで腕が脱皮中の小麦肌と、生まれつきの天然パーマヘア。そして二重幅とは?な状態の一重だ。
ちなみに私の天然パーマはゆるいウェーブどころではなく、根元からしっかりパーマしていて、映画アニーに出てくる主人公並みにくるくるしている。顔面は日本人、髪の毛は外国人というなんとも面白い外見をしているのだ。

こうもかわいい・モテる既定路線から外れていると、思春期の学生時代はいやでも気にせざるを得なかった。一番最初に気になったのは癖毛で、小学校6年生から大学1年生くらいまで定期的に髪の毛を縮毛矯正してストレートにしていた。天然パーマは扱うのがかなり難しく、汗をかいたり、その日の湿度によって髪の毛の爆発具合が違うのだ。

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私はバスケをやっていたため、余計天然パーマには悩んでいた。小学生の時には「なんでそんなにくるくるなの?」「天パ」といわれ、こっちが知りたいわ!と毎回心の中で突っ込んでいた。

また、次に私を悩ませたことが一重だ。この悩みは中学生・高校生になるにつれて大きくなってくる。笑っていると「目、なくなっているよ」と言われることが増えた。
モデルや女優さんは、みんなぱっちり二重で、Googleで「一重女優」と検索しても出てくるのは奥二重の人だった。それを見てやっぱり一重の人は綺麗じゃないからテレビに映れないのかと残念に思っていた。

誤解してほしくないのだが、私は自分のことをブサイクだなんて思ったことがないし、整形しようとも思ったことがない。ただ、周りからの言葉やテレビなどの外的要因で気にしていなかったのに、気にさせられるようになった。これほどまでの有難迷惑はない。

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自分の外見に少しばかりの疑問を抱えていた私だが、大学入学後に「自分の特徴って、もしかして最高なのでは」とスーパーポジティブにとらえられるようになった。

大きな理由としては、海外へ行くようになったことだ。旅行・留学を通じて海外の方に、「目が素敵だね」と度々言われることがあったのだ。
初めて言われた時は、何言っているんだこの人、と疑ってかかっていたが、日本では外国人の彫りの深い顔に憧れがあるのと同じことだと考えると筋が通る。

K-POPブームの再来で、一重の切れ長の感じがかっこいいという風潮にもなった。
さらには、おしゃれでこなれたヘアスタイルとして、今ではパーマヘアは自然だ。どんなにくるくるしていても、いい感じのパーマだねで済むのだ。
ここまで風当りが違うと、どんなに人気のある外見の定義がぶれぶれで、あっけないことかと驚愕する。

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もともと自分の外見が嫌いではなかった身からすると、やっと時代が私に追い付いたかと、したり顔でにやけているのはもちろんのこと、ふと思い当たったのだが、もしかして一重民族ってとんでもなくレアキャラなのではないかということだ。

一重民族がいるのはアジアで、その中でも地域は限定される。そう考えると、世界において私たち純一重というのは絶滅危惧種並みのレアキャラで、人間国宝やら保護対象とされても良いのではないかと思うと、一重の自分が急に誇らしくなってくる。
私の場合は一重だったが、どこかコンプレックスを持っている人も、その部分は人とは違っているレアなところだと発想を転換してしまえば、レアキャラな自分を少しは愛しいと思えるかもしれない。こんな人なかなかいないだろう貴重なんだぜ、にしし、と笑ってしまえばいい。

結局、国や時代によって綺麗、かわいいの定義は全然違うし、今の外見のトレンドもすぐ変化するだろう。だから周りの基準を気にしてついていこうとすると、外見の移り変わりは激しくなりそうだ。
しかし、自分で自分のことを気に入っていれば、それは国や時代、トレンドによって変化するものではないため、薄っぺらい外見主義の世の中を一番幸せに生きられるのではないだろうか。