私たちは「なおしたいところ」の語彙力ばかりを与えられ、「自分のかわいいところ」を表現する語彙は奪われた、かわいそうな生命体だ。

「なおしたいところ」のアイデアは社会にたくさんたくさん溢れていて、いくらでも真似できるのに、「かわいいところ」を表現するアイデアは少なくて、真似できない。
あるいは、外見じゃなくて中身で勝負!なんていう方向に向かせようとする。

外見がすべてじゃないけど、外見で悩んでる現実を中身で解決って、それは問題をはき違えてるんじゃないかなと思う。私が言いたいのはこうだ。

自分の「かわいいところ」を表現する言葉をもっとくれ。
自分のかわいさを肯定できる言葉をもっと教えてくれよ。

子どもの頃から「なおしたいところ」ばかり考えてきた

小学生の時は、すね毛が毛深いことが悩みだった。
みんなで体育座りしている時、隣に座る自分より細くて白い脚を見て思った、短パンから生える私の足は泥をかぶった人参みたいだと。母に毛をそりたいと頼むと「まだはやい」と言われた。

中学生の時は、髪の毛がべたッとしてしまうことが悩みだった。
遺伝で元来髪の毛が細くて、友人に比べてボリュームもなかった。美容院では「長さを切る」だけ。どうすれば可愛くなれるのかわからず、脱衣所で、泣きながら髪の毛を引き抜いたこともある。

高校生の時は、太っていることが悩みだった。
すらっとした友人を見ては私も「痩せればもっと可愛くなれるのになぁ」と。ぶよぶよのお腹を見て、このままでは一生ひと様に裸を見せられない、私は一生エッチできずに終わるんだ、とも思った。

大学生の今、相変わらず痩せたいとは思っているが、25万円かけて全身脱毛をして、髪の毛も満足できるようなレベルまで引き上げることが出来ている。新たな問題は「出っ歯であること」。歯が出ていることが悩みで、100万円かけて矯正を始めた。とはいっても、70万は親に出してもらっている。

いつの時代も「なおしたいところ」ばかりが頭に居座っている。
隣の芝生は青く見える、人と比べたってキリがない、そういった言葉をもう何度も目にしているのに、それでも考えてしまうのだ。

「痩せたい」「歯並びなおしたい」「目の下のクマ無くしたい」「二重になりたい」
そんなことを。そういう「なおしたいところ」を表す言葉を多く与えられるからだ。

今だったら、当時の自分にたくさんの言葉をかけてあげられる

私たちには、言葉が必要だ。自分の可愛さを表現する言葉が。

小学生の時、自分で自分が可愛いと思っていたところはどこか、思い出せない。考えていなかったし、知らなかった。
今なら言ってあげられる。「褐色の小麦色の肌は、あなたの大好きな黄色のひまわりが最も映える肌だし、毛はセクシーという捉え方が世界には溢れている」と。

中学生の時、自分で自分が可愛いと思っていたところはどこか、思い出せない。考えていなかったし、知らなかった。
今なら言ってあげられる。「あなたの髪の毛は少し天然のパーマがかかった可愛らしいふわふわの髪の毛で、優しい性格と相まって本当に素敵だ」と。

高校生の時、自分で自分が可愛いと思っていたところは、涙袋だ。これは、ちょっと考えていた。それと、声を褒められることが多くなった。自分の声も、かわいいと思うようになった。
今付け足すとしたら「小柄な体格が本当にかわいいので、小柄のかわいらしさを活かしたワンピースを買って着れば天使が爆誕する」なんて言ってあげたい。

自分や関わる人の「かわいいところ」を全肯定したい

「かわいいところ」を表現する言葉が、社会にもっと溢れてほしい。そのためには「かわいいところ」を表現する言葉を、否定しないことが最重要だ。

自分のかわいいところを言うと返ってくる言葉なんて0.5秒でいくつも思いつく。
「典型的なぶりっこじゃん」「そこまででもなくない(笑)」「絶対自分のこと可愛いと思ってるよね」「自分に自信があるんだね(笑)」エトセトラエトセトラ。

「かわいいところ」を表現する言葉を社会に溢れさせてくれ。
そして、その言葉を肯定する社会であってくれ。

私は、関わる人の「かわいいところ」ばかりを探す人間でありたい。誰かが言った「かわいいところ」を全肯定する人間でありたい。

過去の自分に、そうしてあげられなかった分まで。