私が物心ついた頃からのピンクとの距離感、それはそれはありまくりだった。
だってピンクは私の色じゃなく、私の“妹の”色だったから。

色白の妹の服はいつもピンクで、私はいつもピンク“じゃない”方

私は2歳下の妹が一人いる、二人姉妹の長女だ。
2、3歳だったか、物心ついた頃はすでに私のそばには妹がいて、母はいつも私たちにお揃いや色違いの服や髪飾りを身につけさせた。
髪型もそっくりで、手に持つバッグもお揃いで。しかも小さい頃の妹は成長が早かったから身長も私とほとんど一緒で、色んな大人たちからよく双子に間違われた。
「もー!お姉ちゃんはわたしのほうなのにぃ」
子供の頃の私は、そう少しの不満を抱きながらも、母が選んだ服を妹と共に着続けた。

私の幼少期の写真を見返すと、ほんのり焼けた肌に、生まれた時から母譲りのくるくる天然パーマ。
「もぴちゃんはパーマを当てなくていいからいいじゃない、かわいいよ~」と言われても、高校でストレートパーマをかけるくらいストレートヘアに憧れてしょうがなかった。
一方、妹は毎回「ほんと真っ白でお人形さんみたいだね~」と言われるくらい、日に焼けても少し赤くなるくらいの色白で、髪も私とは違い、真っ直ぐだった。
妹は小さい頃からピンクが好きで、母もその色を妹に身に着けさせるから自然とピンクは妹のものになった。そして、色違いで服を着るときは赤や水色など、私はいつもピンク“じゃない”方だった。
やっぱり、色白でかわいい妹のほうがきっと似合ってる。私にはどうせ似合ってないんだろうなぁと、ピンクの服をお揃いで着たこともあったけど、子供ながらにそう切ない気持ちになった。

もうすぐ妹の誕生日、ぎくしゃくした関係から仲直りしたい

小さい頃から今でも変わらず私の中で可愛い妹は、「私のようになりたい」と高校も短大も、そして職場まで真似してついてきた。週末も一緒に旅行したり、カフェに行ったり、大好きな妹とこれからも友達のような良好な関係が続くと思っていた。
そんな関係が少し壊れてしまったのは約5年前、妹が私の職場に入社してからだった。
以前書いたエッセイ「高校も短大も、職場まで。私の真似をしてきた妹に『死ね』と言ってバナナを投げつけた」でも綴っているけど、妹は私が勤めていた会社に入社後、職場でのいじめが原因で適応障害を患い、会社を退職してしまう。その後、私もそこを退職する。
そこから私の今まで妹に対して抱いていた羨望や嫉妬の気持ちが爆発してしまい、妹と少しぎくしゃくしてしまう関係が半年ほど続いた。

話すのは必要最低限の話題や、話したとしてもありきたりな会話ばかり。
今まで変な顔の写真とかたくさん撮って、どうでもいいことでも笑い合ってたのに。
休みが合えばどこでも一緒に出掛けてたのに、もうお姉ちゃんのこと嫌いになっちゃったよね……。
そう思っていた矢先、妹の25歳の誕生日が9月に迫っていた。
そうだ、妹がずっと欲しがっていたブランドのバッグをプレゼントして仲直りをしよう。
そして、おめでとうとごめんねを言って、ちゃんと仲直りするんだ。
毎年プレゼントを贈り合う私たちだけど、これほど妹の誕生日を待ち遠しく思ったのは初めてだった。私はすぐに妹の誕生日に合わせてプレゼントを購入した。

誕生日という自分が主役の日に、妹は「姉の日」を制定した

妹の誕生日当日。
「誕生日おめでとう!」と、ずっと前から準備していたプレゼントを渡す。
妹はプレゼントを見るなりすごく喜んでくれて、リサーチも成功したようでほっとした。そして妹の笑顔で、今までのぎくしゃくが少し和らいだ気がして嬉しかった。
バックのデザインを間近で眺めたり、肩にかけたりして終始喜んだあと、妹からもはい、と紙袋を渡された。
「お姉ちゃんも、姉の日おめでとう!いつもありがとう!」
「へ???」
妹曰く、「なんで母の日・父の日・敬老の日はあるのに、姉の日はないの?」らしかった(笑)。
だから妹である自分が生まれて、私がひとりっ子から二人姉妹の姉になった日を姉の日としまーす!と、ニコニコしながら説明してくれた。
袋を開けると、私が気にしている天然パーマのことを思ってか、ずっと気になっていたけどなかなか購入に踏み切っていなかったヘアブラシやヘアミストと、小さな手紙が入っていた。手紙にはこう書かれていた。
「祝☆第1回姉の日!25年間私のお姉ちゃんでいてくれてありがとう。私はいつもお姉ちゃんがいるから何でも頑張れます。これからもこんな妹だけど、ずっと仲良くしてね。大好きよ」

胸がぎゅっと締め付けられて、じんわりと温かくなる。
第1回姉の日ってなんだよ、今日の主役はあなたでしょうが!
祝われる主役がなんで、私にプレゼント渡してるんだよ。
もう、なんだよ、すごく嬉しい。

私もずっと仲直りの機会を伺っていたけど、それは妹も同じだったようで、私を大切に思ってくれる妹の温かさと、私の行動を遥かに超え、誕生日という自分が主役の日に姉に贈り物ができる妹に羨望と感謝が混ざった不思議な気持ちになった。

冗談で来年もあるの?と妹に尋ねると、「これは25年に一度だから、次は私が50歳の時ね!」と返してきて、久々に2人でけらけら笑った。

私は今まで“お姉ちゃんだから”、妹のために、家族のために、色んなことを我慢してきた。感謝されることもあったけど、勝手な私の自己満足な部分もあったかもしれない。
お姉ちゃんだからって、妹がいつも尊敬するような真面目で努力家な訳じゃないし、色白で、ストレートヘアの妹にもそりゃ嫉妬だってする。
妹だからって、いつまでも頼りない子供のままの妹じゃないし、私と同じように色んなことを悩み、考える同士であり、私の1番の友達であり、時には頼りになる家族だ。
妹のほうが私よりしっかりした考えを持っているな、と思う時だってある。
ピンクだって妹が好きだからって、私がそれを諦める理由にはならなかったはずだ。

お姉ちゃんだから、妹だからって、なにも我慢することはない

妹が制定した”姉の日”に嬉しくなると同時に、姉の日を柔軟に思いついた妹から、いかに私が固定概念に縛られていたか痛感した。
お姉ちゃんだからって、妹だからって、何もお互いに我慢することはなかったんだ。
そう考えると、なんだか気持ちがふっと軽くなり、ピンクとの距離も縮まった気がした。

妹は3年前、初めてパーマをかけた。
ずっと私が気にしていた天然パーマは、私が妹のストレートヘアに憧れていたように、妹にとっても憧れだったようだ。お互いにないものねだりで可笑しくなる。
担当の美容師さんには「姉のようにしてください」と写真を持って行ったそうだ。なんだよ、かわいいやつめ。
私の天然パーマも28年間共にしていて取り扱いには未だ慣れないけど、褒められたり羨ましがられることも度々あるので、なかなかいいものだと思えるようになってきた。今の私はストレートパーマもかけていない。

そして私も3年前、初めて髪を染めた。カラーはピンクブラウン。
なんだかピンクが自分の一部になったようで嬉しかったし、自前の天然パーマもそれを気に入っているように見えた。
その後からラベンダー色のマウンテンパーカーやピンクブラウンのマスカラを購入したり、ピンクのモノたちも少しずつ増えていった。今年の春もマウンテンパーカーにはたくさん活躍してもらう予定で、クローゼットで今か今かとその時を待機している。

昔はあんなに遠かったピンクとの距離も今では心地よい距離感で付き合えていると思う。
妹の色だと思っていたピンクも妹のおかげで、大好きになれた。
妹のことがやっぱり私は大好きだし、尊敬している。いつか私も“妹の日”に普段言えない感謝を伝えたい。