小学5年生になってから小学校を卒業するまでの2年間、体育の授業をほとんど休んでいた。
そもそも学校自体も休みがちだった。
不登校とまではいかないけど、1年の1/3は休んでいたと思う。
体育を"見学"するようになったキッカケは、これといってない。
強いて言えば、「いじわるな人達に笑われるのが嫌だった」からだ。
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5年生になるタイミングでクラス替えが行われる。
あの人とあの人とあの人と……と、心の奥深くで勝手に「同じクラスになりたくない人リスト」を作っていた。
クラス替えの日。自分が配属された教室に入って驚いた。
あのリストの人たちがいるのだ。
容姿についてからかわれていた私。
彼らの格好の餌食になることは容易に想像ができた。
実際、そのようなことはあって、体育の時間もそうだった。
成長期のあるある、「膝が痛い」現象。
最初はそれを理由に休んでいた。
それでもずっと休むわけにはいかなくて、何回か参加したこともある。
運動会も出た。なんでだろう。今思うととても不思議だ。
体育のある日は親に連絡帳への記入を頼んだ。
母はそこらへんに厳しくなく、嫌なら休めば?と言ってくれていたのでよかった。
幼い頃、母も嫌な経験があったらしい。
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プールの時期はどうしようか。
水泳は、私ができる唯一のスポーツ。
と言っても、クロールと平泳ぎが人並みにできる程度だ。
習ってたわけでもなんでもないのだが、これだけはできた。
水に顔を浸けるのも怖い、という子もいるなか、25メートルくらいならスイスイ泳げたわたしはプールが好きだった。
水着になること以外。
泳げるので、「できないから笑われる」ことはない。
ただ、着ているそれは身体のラインをもろに写し出す。
みんなの視線や笑い声で、私の被害妄想は拡大した。
いや、現実だったこともある。
面と向かって言ってくる強者がいたからだ。
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体育は様々な種目をやらされる。
もともと運動神経なんかなかったけど、罵声を浴びせられることで、より自信をなくした。
バスケのとき、花いちもんめ形式でグループが決まっていく。
もちろん、最後に残っていた。
出来ないなりに動いてみても「邪魔だからじっとしとけよ!」と言われ、じっとしていると「おーい、サボんなー」と先生に注意される。
常に見学でたまに参加するから、筋力があまりなかった。
走り幅跳びで砂場に飛び込んだら、足の裏、膝、腹、腕、顔、と順に砂を付けた。
さすがのいじわるな人達も引いていた。
無論、自分でも引いた。
50メートル走のタイム測定。
「○○さん、8秒56です」
耳を疑った。いじわるな子が測ってくれてたから、テキトーなこと言ってんだろ、と思いきや本当だった。
正直な話、小数点以下は覚えていない。
そしてこのタイムだって別にいいもんじゃない。
耳を疑った理由は「10秒台だと思っていた」からだ。
自信が無さすぎて、自分を低く見積っていた。
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中学ではいじわるな人達が別の学校に行ったり、わざわざ私をからかったりすることが少なくなった。
しかし、トラウマはそんなことでは消えない。
因縁のバスケの時間。
この頃なぜか「このままじゃだめだ」と自らを鼓舞していたこともあり、何でもいいから役に立てないものかと考えた結果、
「でかくて邪魔なら、ディフェンスに徹すればいいじゃん」
という考えにたどり着いた。
そしてわたしは相手チームのドリブルに果敢に迫り、視界を塞いだ。
ロングパスのカットインをして、チームメイトめがけてボールを突き飛ばした。
試合後、チームメイトが寄ってきて、
「めちゃめちゃ動いてくれて助かったー!このあともじゃんじゃん邪魔してって!」
と、キラキラ光る汗が眩しい女バスの子が笑顔で言ってくれたのだ。
うれしいより他なかった。
それからというもの、花いちもんめ形式のそれで、序盤で名を呼ばれるようになった。
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小学校と中学校での経験で私が思うこと。
「スポーツが苦手とか得意とかは関係なくて、"誰とやるか"で自信がつく」
例えば、プロの選手であっても、合わないコーチと二人三脚したって転んでしまう。
これはスポーツ以外にも言えることなのかもしれない。
体育やスポーツが苦手なことを、自分のせいにしている方がいたら言いたい。
「それ、周りの人がアホなだけだから、自分を信じて。逃げたければ、逃げて大丈夫」
得意なら伸ばせばいい。
苦手なら楽しむ工夫をみんなで出来たらいい。
楽しんだ先に、オリンピックがあるかもしれないし。