自分の身体と、どう向き合っていく?
私はこの20年という短くて貴重な時の中で、どれほど自分に問うただろう。そして答えは未だ出ぬまま、どれだけその時間を無駄にしたのだろう。
私は、太っている。普通の女の子が、「太っちゃった〜」と言う「太っている」ではなく、数字でそれを証明している。
中学まではそれほどでもなかったが、高校とその後で激太りした。多分、ストレスが原因であるが、私の1番のストレスはいつだって、「太っている」ことであった。

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友人は限りなくゼロに等しいが、昔であれば昔であるほど、どんどん人に会うのが怖くなった。悪いことなんか何もしていなくても、すれ違う友人から目を逸らす。逃げたり隠れたり、高校時代も写真なんて絶対に撮らなかった。インスタのストーリーにでも流されたら、公開処刑のようなものだ。
大きな身体とは裏腹に、私の心はとても小さい。豆腐のような柔らかさで、友人の悪気ない一言も、好きな男の子からの目線も、グサグサと胸を抉られていく。そんな日々の中で私は、どんどん自分のことを醜く感じ、他人ばかり羨む学生時代を送った。私の10代は、そうして失われていった。
美の基準とは何だろう。結局、そのようなものはない。痩せていようが太っていようが、どんな姿でも女性は美しい。でも、この国に住み、似たような価値観を持つ人間に囲まれ、その人達が発信する情報の中にいる私達の美の基準は、悪気が無くともその平均値になってしまう。

自分の身体と、どう向き合っていく?
その答えを、綺麗に言うことはいくらだってできる。
わかっている。太っている芸能人や有名人が発する言葉がいくら正論でも、それは私の前で留まるだけで、どうしても私の「価値観」にはならない。
どうしたら私は、私の身体を受け入れることが出来るのだろう。友達の一言が、彼氏の一言が、何にもぶつかることなく、すっと受け入れられるようになるのだろう。
もう大人になったというのに、私はたった1人の自分のことすら認めることができない。なんて情けないのだろうか。

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20歳になり、私は一人暮らしをするようになった。
小さな部屋に大きな鏡。自然に、私は私をよく見るようになった。一生懸命働いて、得たお金で好きな食べ物を食べる。食べたエネルギーがまた、私を動かす。生活する。生きていく。
毎朝、この鏡を見て、家を出る。よし、頑張ろう。社会人になって、私はほんの少しだけ、前向きに思えることが増えた気がする。
どんなに醜く思えてもいい。自分の周りには、その数だけ色んな考え方がある。もういっそのこと、素直に自分を認めることができなくてもいい。
実際、今も私は私を認めることが出来ていない。ただ、ひとつだけ忘れてはいけないことは、太っていようが痩せていようが、その意志は人に左右されず、自分がどうありたいかを常に持ち続けるということは忘れてはいけないと思う。それが、今の私の精一杯である。

先日、意を決して中学の友人と会う約束をした。私から連絡をしたのだ。
6年ぶりに会う友人は、髪の色を変え、流行りのメイクをし、目にはカラコン、耳にはピアスをつけていた。口から発する言葉も随分と変わり、高卒の私にはついて行けないような横文字を次々と並べていた。私は数日間、その友人の圧倒的な輝きに、学生時代を思い出した。
人を羨み、自分を醜く思うあの気持ち。だけどきっと、それは間違っている。
きっと私は人間で、他人と自分を比べては、羨んだり妬んだり、落ち込んだり、大人になったってこの先もずっと、そんな下らないことを繰り返す。繰り返して、落ち込んで、でもそれでいいと思う。
常に、いつも、必ず、私の心の中心に、どすん、と一本、自分のものさしを忘れずに持ち続けることができたなら。