アラフォーの私。コロナ禍で、今まで毎週のように会っていた友人たちとは会わなくなった。
それまで、自分の体型に大きな悩みはなかったので、自分の着たい服を着て、毎週のように遊びに出かけた。ミニスカートやノースリーブは元々着ない。常識の範囲内で、たぶん太ってもないし(痩せてもいない)、だからといって、足や腕を堂々と出す勇気もなし。着ていく服はいたって普通の、Tシャツにスキニージーンズといったところだった。
とにかく怖くて、接客業である仕事も休みたかったくらいに怖くて、とにかく町から出かけなくなった。
私の暮らす町には、今まで遊んでた友人たちも会いたい男もいない。家族と、職場の人だけ。買い物に出かけたとしても、某ファストファッションのお店くらいだった。
でも、それで事足りた。出かけないからだ。誰にも会わないし、正直、「友達」に会うのが嫌だったのかもしれない。内に内にこもり何もしない。毎週無理してでも夜遊びしていた私は、いつの間にかどこかに消えていた。ずっと無理をしてきたのかもしれない。
するとどうだろう。自分の心地良いままに過ごしていたら、2年間で6キロも増量してしまった。おなかはポッコリ、二の腕はムチムチ。肩にも脇にもお肉がついた。
こんなにも自分のカラダを嫌いになる日が来るとは思わなかった。
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小さい頃からコンプレックスは持っていた。
一重まぶたは「寝てるの?」と笑われるくらい分厚いし、腕と脇と足は放っておけばジャングルのようにフサフサの毛で覆われる。そのくせ眉毛やまつげは薄い。女の子が誰しも憧れるアイドルの顔とは程遠いし、雑誌で取り上げられるメイク特集は全く参考にならない。
だからといって、「整形させてくれ!」と親に懇願したこともない。そう、私は、このカラダで生きてきた。メスを入れたくないし、自分を否定したくなかった。
ところが、今やどうだ。まさか自分のカラダを否定し、忌み嫌う日が来るなんて!
カラダは細くて当たり前。まつげはフサフサが当たり前。目が大きく見えるメイクが当たり前で、肌はツルツルが当たり前。
私たちはたくさんの「当たり前」という呪縛に、物心ついたときからがんじがらめだった。でもその当たり前って、いつ、誰が作ったんだろう。誰のためのものだろう。
コロナ禍で一度、ムダ毛処理をやめてみた期間があった。とことん、自分のカラダに向き合ってみようと思ったからだ。
一週間。二週間。どこかで「体質が変わって、いつの間にか毛があんまり生えてこないようになってるかも」と淡い期待を抱いていたけど、いとも簡単に裏切られた。学生時代から何一つ変わっていない。ジャングルのように生い茂るムダ毛。笑うしかなかった。
でも、なんだか少し誇らしかった。だってこれが私の生まれたままの姿だから!
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2022年。世の中が少し落ち着いてきて、外出する人が増えてきた。あんなに怖かった町の外へ、友人の結婚を祝うために出かけた。
もちろんムダ毛処理をし、1ヶ月間のダイエットもやってみた(結果は言わずもがな)。2年ぶりに会う友人は、増量した私に「そんなのわかんないし、どうだっていい!おまえが元気ならそれでいいんだ」と再会を喜んでくれた。
正直、人前に出るのが恥ずかしくなっていたけど、考えてみたら、自分の中の「当たり前」と闘っているに過ぎなかったのだ。私がこれでいいなら、それが正解。答えは決まっている。
さぁそうなると、どうしたものか。いわゆる中年のカラダになりつつある自分と、どう向き合っていこうか。
折り合いをつけていくのか、それともまだまだ負けてたまるか!と鍛え上げるのか。
どちらにしても、私が決めた方が正解。私のカラダは、私だけのもの。愛してあげられる日が、来ることを祈って。