私は生まれてから29年間、青春とはかけ離れた生活を送ってきた。
花火大会は数えるほどしか行ったことがない、家庭の事情で流行りの番組や音楽に触れることができない。私は誰の目から見ても青春とはほど遠い、楽しい夏を送ったことはなかった。
しかし、そんな私には忘れられない夏がある。
みんなの思い出作りを夢見て奮闘した夏。2018年のことだった。

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大学院生だった私は、就職活動をしながら研究に励んでいた。
就活は上手くいかず、お祈りメールを戴いた数は10社を超えていた。私よりもはるかに優秀でないと感じた人が内定した上での不採用。文系の院卒女子は就活路線で最も敬遠され、お買い損と言われるルートである。
その上、2年間のブランクを抱えながらの就活はただでさえ不利に働き、勝ち気で突き進んでいた就活も夏が終わる頃には精神的な負担となっていた。最終的に内定した販売職も実感がわかず、内定後鬱のような感覚に陥った。

そんな状況の中、私はそれ以上に修了研究に燃えていた。

創立30年の公立中学校の部活動の歴史的変遷を調べ、部活動代替措置後の発展過程と現在の維持過程を考察する。ここ30年、公立中学校は少子化や相次ぐ学習指導要領の改訂に見舞われたが、その際、部活動はどのように変容していったのか。

事例研究は、結果に至るまでの過程を追跡することに優れている。私はこの手法を使って、一校の部活動の活動実態に迫った。最初は元々興味があったからという程度であったが、次第に生徒の健全な活動のためという表向きの側面と、部活動の思い出を共有する場を作りたいという研究とは少し離れた側面との両方の気持ちからのめり込んでいった。

調査対象校に出向いて資料の収集を行い、既に異動になった教員の勤務先に出向いてインタビュー調査を行う。ただでさえ多忙な教員に時間を割いて戴き、その後も準備不足があって3度も4度も連絡をしてしまった。
さぞかし迷惑だろうと恐る恐る連絡するが、結果は思わぬものだった。

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当時の経験を語る先生方の目は輝いていた。その語り口から、顧問教師がいかにプライベートを犠牲にして指導してきたかが伺えるが、まるで思い出を語っているような表情であった。
社会学研究ということで中途退部や廃部といった暗い話も多く含まれていたが、そうした負の側面を含めても、やはり部活動というのは思い出の詰まったものであるようだった。
私も特別仲が良いわけではないが、いま何をしているのだろうと真っ先に思い浮かべるのは、一緒に汗を流した部員のことだ。他の部活を見ると、やはり同じ部活だった人たちは仲良くしていることが多い。

公立中学校ではどの教科よりも活動時間の長い部活動であるが、意外にもそれを共有する場所は設けられていない。ならば、私が「僕たち、私たちの部活動展」を開こうと思った。

部活動には負の側面もある。私の調査からは、全員加入制を維持させたまま少子化により部員の少ない文化部から廃部が行われ、結果、活動時間の長い運動部に消極的に参加する生徒が見られるようになった。顧問教師は、やる気のある生徒とそうでない生徒の二方を指導する必要が出てきたことが分かった。
また研究者である以上、部活動展が思い出を語るだけの場所になってはいけないと思っている。事実、私が解明したのは負の側面で、これを公表することによって改善策が見いだされる。ならば、展覧会を開くことによって正の側面も負の側面も来展者が共有できるスペースを作りたい。

2018年頃から特に改革が叫ばれている部活動問題であるが、多くの人が参加する活動である一方、政策立案に携わっているのはほんの一部の人だけである。
楽しかった人も辛い思いをした人も、平等に声を上げることができる機会を私が代表して作っていきたい。そう強く思うきっかけを作った夏であった。