一度だけ転職をしたことがあります。
その時、せっかくこの大好きだったこの会社を辞めるんだから、せっかくだったら周りの人に転職してよかったね、と言われるような会社に行くぞ!と意気込んでいました。
何より、まだ何も達成出来ていないまま新卒で入社した会社を退職した自分を、両親に情けないと思われたくなかったのです。

父親は人生をかけて一つの仕事を全うしていて、母親も、育児などで仕事から離れた時期もあったけど、今でもバリバリ働いて職場で活躍しています。
そんな両親は、新卒で入社した会社を3年以内に辞めるという決断をした私に、きっとがっかりしたに違いありません。
だから、次の会社はもっとすんごい会社で、誰もがすごいねすごいねって褒めてくれるようなところを選ぼう、という思いが強くなりました。

◎          ◎

今思えば、企業をアクセサリーみたいに考えて、自分に箔が付くようにと就職活動をするなんて馬鹿だなあと思うのですが、その頃の私はなんだかひとりで盛り上がってしまって、前職と似ても似つかない、宇宙関連の事業の会社に応募しました。
文系だし、理系の科目は壊滅的に苦手な私には無謀な挑戦に思えましたが、なぜだか大勢の候補者の中から最終選考まで残ってしまったのです。

その企業の社長が有名人だったこともあり、世間からの注目度もかなり高かったこともあり、両親の期待も高まっていると思い込んでいました。
やった、これで両親に「私もちゃんと仕事できるよ」ってアピールできる、そう思っていました。

結果、最終選考で不合格となりました。
「まあ、そうだよな」というのが本音でした。
そもそもこんな、「すごい会社に入って周りに認められたい」みたいな短絡的で説得力のない姿勢ではどの会社も採用してくれるわけがありません。

妙な納得感と共に、成長というのは誰かに評価されたり、自分に新しく役職がついたり、所属する団体や場所が評価されることとは全く別物なんだなあと、しみじみ思いました。
虎の威を借る狐とはこのことだと思いましたが、私が企業に採用されたとて、私の価値は上がりもしませんし下がりもしません。

誰かが私をすごいねえと褒めてくださることがあっても、私の価値は上がりもしませんし下がりもしません。
つまり、自分の価値を自分以外の誰か他人につけてもらおうと思っている時点で、私は自分で自分に価値を見出していないということを認めているようなものです。
一連の出来事から、そんなことをひしひしと感じました。

◎          ◎

私のたくらみはこうしてあっけなく終わりましたが、このたくらみに失敗するという経験が今でも私の背筋を伸ばしてくれるのです。

誰かに評価されるのはもちろん素晴らしい、自分で自分を褒めるより何倍も心を満たしてくれる、素敵な体験です。
ですが、人の目を気にして、人に媚びて、人に評価されることを前提に何かたくらんだって、またあの時のような虚しさが襲ってくるぞ、とあの思い出が私の耳元で言うのです。
その度、私の背筋が伸びます。

両親が私のことをどう思っているかは今でもわかりません。でも、今の私は転職先で周りの役に立てるように奮闘しているし、自分の夢に向かって前進し続けているし、過去一番素敵な自分だと自負しています。
だから、他人にどう見えていようと、どう思われていようと、今を一生懸命楽しむ私は素敵なのです。
もうあの時みたいなたくらみは、今の私には必要ないのです。