小中高短大と、ずっと体育が苦手だった。
短距離、長距離共に走るのは遅いし、泳げないし、球技もできない。個人競技は見られてる感が嫌だし、団体競技は足を引っ張ってしまうから嫌。毎週2回程ある体育の時間が憂鬱だった。

◎          ◎

私の高校の持久走は、学校の周りを3周走っていた。冬で寒いというだけでも嫌なのに、長距離を走るのも嫌だった。更衣室ではみんなそんなふうに話していた気がする。
男女別の授業だが、持久走の時期は一緒に行うこともあった。スタート前は、「一緒に走ろう」と誘いあっている女の子、運動部の子は自己記録を更新するためにストレッチをしたり、最前列でスタートを待つ子、「やりたくないよね」「寒いね」と後ろの方で話している子がいる。私も友達と後ろの方にいた。
そんな中、スタートの合図があるとみんな一斉に走り出す。最初はみんなまとまっていたはずなのに、だんだん距離が離れていく。気づくといつも私は最後の方にいた。
男子は同じコースを女子より多く走るため、男子にはどんどん追い抜かれていった。スタート前は隣にいたはずの女子はもうずっと前にいる。私の1人前の女子の背中はどんどん遠くなっていく。「私も遅いし……」なんて言っていた同じ文化部の子は、もうずっと遠かった。
周りが遠くなっていくと、だんだん歩きたくなってしまう。それでも、途中でリタイアしたり、決められた時間の中で走り切らないと後日、見学者と一緒に追走をしないといけないから走り切った。
私はいつも最後の方にゴールする。終わった子はストレッチをしたり、おしゃべりしていた。ゴールの位置にタイマーが置いてあり、自分で確認してタイムを体育係に言わなければならないのも、クラスで1番遅いから嫌だった。

◎          ◎

私の持久走の記憶はそんな感じで嫌なことばかりだと思っていたが、その頃つけていた日記を読み返してみると、そうではない日もあったらしい。
その日の日記を読むと、少しずつ思い出してきた。

2月4日。
この日は体育の先生が一緒に走ってくれた。女性の先生で50代くらい。バスケ部の顧問だった。
時々声をかけてくれながら、ずっと一緒に走ってくれていた。苦しいけど、先生がいるから歩くことも出来なくて、ずっと走っていたと思う。
だから、前の人との距離もいつも程離れていなかった。追いつこうと思えば追いつけそうな距離に人がいて、隣には先生もいる。何度も走って見飽きていたはずの景色が、その日はなんだか違って見えた気がした。
限界だと感じても、自分1人じゃないと意外と頑張れるのだと知った。そして、この日のタイムが、この年の持久走の中で1番よかったはずだ。先生にも頑張ったねと言われた。

今も運動は苦手だし、体育の授業を思い出しても苦手だったことやクラスの人に迷惑をかけたこと、上手く出来ない自分が嫌になることの方が多い。
だけど、頑張ってよかった経験だって、嬉しかった経験だってあったことを、このテーマが思い出させてくれた。