「泣きながらご飯食べたことがある人は、生きていけます」
ドラマ「カルテット」作中に登場する、真紀さんのことば。私はこの言葉を幾度となく心のつっかえ棒にしながら、いつ思い返してもきりりと胸がくるしいような夕食を数度味わってきた。
そのうちの一晩を今、ふと思い出している。
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高二の秋、それは家庭環境が人生史上最高に最悪で、どこにも居場所がないような窒息感をいだきながら日々をやり過ごしていた時期だ。
重度の精神疾患でアルコール依存の母、認知症後期の祖父と、ひねくれた性格の祖母。離婚済みで別居している父には新しい家庭があった。私がほっと息をつける場所は、“お手洗い”という狭くてちっちゃな真四角の空間だけ。逃げ場がない。
あのころの私は学校の人間関係にも行き詰まっており、「私は本当にひとりぼっちだ」と日々絶望をすることでしか、黄色い線の内側スレスレで生きる自分を守ってあげることができなかった。自分で自分を可哀想がっていなければ、呼吸もままならないような日々を過ごしていた。
家庭と学校。友達と呼べるのかどうかもわからない、同じ制服を着ただけの誰かと私。毎晩泣きながら、「この曲をつくったひともきっと、こんな夜をやり過ごしながら大人になったのだろう」と思える音楽を聴く。
そんな日々の最中に起こった家庭内での些細な衝突。積み木のように危うく保たれていたこころのバランスが崩れて、堰を切ったように溢れ出した涙。嗚咽の余韻がおさまらないまま食べた夕食。あの無味な感触を今でも忘れない。
そのとき頭をよぎった言葉は、ただひとつ。
「泣きながらご飯食べたことある人は、生きていけます」
本当かよ、と思った。絶対生きていけるって保証して、無理だったら責任とってくれよ、とも思った。
だけれどあの日の私はたしかに、あの言葉に背中を押されて食事をした。その一食が、私の人生を一日、延命してくれたとも言える。
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たべることは、いきること。
あの日の夕食、涙で味の分からない食事があったからこそ私はこうして今も生きているし、今日も美味しくご飯を食べた。
未だにあの頃の自分に戻ってしまう夜はあるし、涙が止まらない日だってやっぱりある。だけれど、何度も思い返しては私を“今ここ”へ食い止めてくれる言葉とたくさんの夜、それが「泣きながらご飯食べたことある人は、生きていけます」という一節の言葉のなかに詰まっている。
泣きながらご飯を食べるなんて、そう何度もしたい経験ではない。だけれどそうして生き延びてきたからこそ、今私が感じる“おいしい”という感情はとびっきり幸せで素敵なものだなと思える。
これから先、泣きながら食べたご飯の味を思い出しながら、どれほど長く生きてゆけるのか。正直全然自信が湧かない。それでも、あの日あのときを確かに懸命に生きていてくれた自分に感謝できるくらいには、頑張って踏ん張って、ここまでたたかってきた。
だから、これから先を生きてゆく自分のことは、もうちょっとやさしくあたたかく、愛してあげられたらいいな、なんて目標未満の願望もある。よかったね、あの日の私。
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泣きながらご飯を食べたことがあるすべてのひとへ、今日まで生きのびてくれてありがとう。
そして、ご飯を泣きながら食べたことはないひと。あなたはとってもつよいけれど、泣きたいときはいつでも泣いていいんだからね。
毎日ご飯を食べられる、それがどんなに尊くて素晴らしいことか。ご飯が食べられなくなったことがある、そして泣きながらご飯を食べたことがある私だからこそ、つよく感じられること。
その尊さが、どこかのだれかにも伝わったらいいな。明日あなたが食べるご飯が、ちょっぴりおいしくなったらうれしいな。
おいしくご飯を食べられるひとも、いまは“食べる”がくるしいひとも。こころのなかで、一緒に「いただきます」と「ごちそうさま」を。
一分一秒みらいの自分が、泣きながらでも笑いながらでも、どうか生きてゆけますように。先の見えない今日、いまここを、必死に立って呼吸をします。
生きて、食べて、息をする。寝て、起きて、食事をする。私も、あなたも、そうしてまた、この身体を抱きしめる。知らず知らずのうちに、案外自分を大切にできているのかもしれない。
だって私たちは、食べたり呼吸をしたりしているからこそ、今ここに生きているのだから。