きっとあの日のことは、一生忘れないと思う。

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大学4年生の夏、私は公務員試験を受けて、とにかく忙しい日々を送っていた。
1年間の試験勉強を終え、真夏の太陽が照りつける中、官庁を歩き回る日々。
国家公務員試験の結果は上々。この調子なら自分が行きたい官庁にも行けると思っていた矢先、第1志望から不採用の連絡があった。

悲しかったけど、仕方ない。他に官庁から内定も出てはいたが、自分のやりたいことを考えて地方公務員を志望した。
全て自分で努力して自分で考えた結果だと納得し前を向いていた、あの日までは。

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国家公務員の試験では最終合格者の順位が本人に送られてくる。
上位だったことが嬉しくて両親に話したのがいけなかった。
国家公務員の内定を貰ったことを知った両親は、第1志望に落ちて泣いている娘を横目に大喜びした。

地方公務員へ進む可能性があると言うと、何も言わないものの、あからさまに嫌な顔をされた。その雰囲気で読み取れといういつものやり方に吐き気がする。
地方公務員の内定が出たあと、正式にそちらに行くことを決めたと電話をした。
その電話では何も言われなかったがその後、実家に帰ると地獄が待っていた。

たまたま、免許の更新で実家に帰ると、母親の様子がおかしいことに気がついた。
夜になり、私が自分の部屋に戻ると、1階から怒号が聞こえてきた。ヒステリックに喚く母親だと気づくのにそう時間はかからなかった。
母親のヒステリックは割といつもの事なので、母親と話さなければと1階に降りると、私は固まった。
母親がいつもの比ではないほど暴れていたからだ。
私を目に入れるやいなや、まくし立てるように怒鳴る。

「あんた、人間性がおかしいのよ!」
「あんたにどれだけ養育費払ったと思ってるの!」
「あんたが公務員試験に合格したのは全部私のおかげじゃない!」
「あんたなんかのこと、友達だと思ってる人間なんてこの世に一人もいない!」
「私、この子に老後の面倒みて貰わなくていい!もう顔もみたくない!」

真っ向から自分の存在を否定する言葉が次から次へと出てくるマシーンが母親だったことに唖然とした。
ここまで真っ直ぐに自分を否定されたのは初めてで、悲しくて、辛くて、もうただただ震えて下を向くしか無かった。
言い返したって、この人を逆上させるだけ、今この人はパニックになってるんだ、だから本心じゃない……。
そういつもの様に自分を納得させようとしても、母親というのはやはり子供を分かっているようで、私が1番傷つく言葉を選んで、深く傷つけるので冷静に自分を守ることが出来ない。
母親に言われるならそうなのかもしれない、自分は最低なのかもしれないと自分を責めるようになり、自分を保っていられなくなった。

なんでよ……。
私が迷っている時、相談したのに、不貞腐れるだけでなにも言わなかったじゃない。
公務員になろうって決めて、自分で学費を払って勉強したのは私でしょ?

沢山言いたいことはあったのに、もうこの人に私の言葉は何一つ届かないんだと分かって何も言い返せなかった。
泣き叫ぶ母を宥める父も祖母も、みんな泣いている母の味方で、私だけが悪者になった気がして呼吸が出来なかった。
翌日、始発で私は一人暮らしの家へ帰った。

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あれから母は、あの日のことをケロッと忘れたように連絡してくる。
私も面倒事を増やしたくないから表面上仲良くしている。
けれど、あの日言われたことは決して忘れることが出来ない。

夏が来ると、いつだってあの日のことを思い出して涙が出る。
仕事をはじめて一人暮らしだと言えば、「なんで実家から通わないの?お金もったいないね」と周りから言われ、その度に私は古傷を抉られる気持ちになる。
母親と表面上、仲良くして笑いあっている自分に反吐が出る。
あの日から私の心は何一つ癒えないまま、寧ろ大人になればなるほど傷が深くなっていくような気がする。
母親に言われた言葉一つ一つが、今も私の心にグサリとささったままだ。

だけど、残酷なことに優しかった母親の記憶があるから嫌いになりきれない。
愛されてなかったとはどうしても思えない。
その記憶があるからこそ、私はずっと傷を抱えたままなんだと思う。
母親と距離を置きたい気持ち、優しかった母親が好きな気持ち、どちらもあるから子供は常に不利だ。
自分を大切にするために、自分を否定する奴は切り離してしまえばいい。
他人には簡単に出来てしまうそれが母親だとこんなにも難しい。

いつか全てを消化して母と心から笑える日が来るんだろうか。
今は想像もつかないけど。
それでもそうであればいいなと思う。