私は父の日記を盗み見たことがある。
親だからって子供のプライバシーを覗くなとキレ散らかしていた、高校生の頃であった。

いつも勝手に部屋を見られているのだから、勝手に父の書斎に入って何かを見てやろう。そんな軽い気持ちで開いたキャンパスノートは、父の日記だった。
ちなみに少し弁解をしておくと、1ページ目しか読んでいない。1ページ目で自分が情けなくなってノートを閉じたからである。

父の日記の1ページ目に書いてあったのは、最近体調が良くないことや私が父の日にプレゼントを渡したこと、それが嬉しかったこと、それに入っていた手紙に励まされたから健康になりたいと言う気持ちだった。

私は泣き出してしまった。

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私の反抗期は幼稚園の頃から高校の頃までと、それはそれはとてつもなく長かった。
怒られれば、その原因となったものを壊した。
叱られれば、家を飛び出して1人で街を徘徊した。
親へと心無い言葉の数々を向けた。
好き勝手やっているくせに、それは親のおかげでもあるのに、親が嫌いと毒づく嫌な子供だった。

父の日のプレゼントだって、「いつもプレゼントくれてるし、あげとくか」みたいな軽いノリであげた。
その中に入れた手紙だって、軽く、いつもの定型文みたいな気持ちで、「いつもありがとう」なんて書いた。覚えてなどいないが、毎回同じメッセージだったはずだ。

そんな憎たらしい小娘の書いた適当な手紙で、父は、娘のために健康でいたいと思ってくれている。
自分のことだけを考えて親を批判している自身の青臭さ、馬鹿さ。
こうはなるまいと馬鹿にした親の、子供には見せない偉大さ。
親と自分の対照的な性質を目の当たりにして、情けなくなった。

父のこの気持ちを見てしまったからには、絶対に忘れてはいけないと感じた。

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あれから10年近く経った。
私は大人になったし、父は歳をとった。
父の日記を盗み見た日から反抗期がすぐに終わったわけではない。すぐに態度を変えるには、私の反抗期は長すぎたのだ。
それでも少しずつ親と自分の距離を詰めて、詰めて、今に至る。

あの時は父の心の内を見て、自分の未熟さを思い知った。
しかし、父の日記が私に影響を及ぼしたのは、当時のその気持ちだけではない。
当時から今の今までずっと、親だけでなく人間関係について考えるようになった。

人を嫌って人を遠ざけていた私は、色々な人の様々な考えを知りたいと思うようになった。その結果、今までになかったような交友関係も増え、さらには相談も頻繁にされることになり、人の本音に触れることも増えた気がする。おこがましいかもしれないが。
まあ人嫌いが、「人間って面白いな」なんて思えたのも父のおかげなんだろう。

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父の日記のあの1ページは、たった1ページなのに、私を大人にして、私の人生を変えてくれた。
当時のその一瞬だけではなくて、今の自分を作り上げてくれた。
今の私はあのページを思い出して、いつかああいう親になりたいなと願っている。
きっとあの1ページは、これからの私をもっと素敵にしてくれるはず。
そう思うと、やっぱり絶対に忘れられない。いや、忘れたくない出来事だ。