移動の時間が好きだ。
1人でぼーっと車外の景色を眺めていると、心が落ち着く。
私が住んでいるところは田舎で、車がないと生活できない。優しい友人は車を持たない私をみかねて、「乗せてってあげようか」と声をかけてくれる。
だけど、いつも断ってしまう。
誰かとおしゃべりしながら目的地に向かうワクワク感も、もちろん好きだ。
だけど、移動の時間は唯一、私が自分と向き合える時間なのだ。

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そう気づいたのは中学生の頃。
中学生の頃、市外の私立中学に通っていた。バスを乗り継いで1時間半、往復3時間の長旅。歩いて通っていた小学校時代とは打って変わり、いきなり大人になった気分だった。最初は学校に着くだけでぐったりしていた。学校へ行ってからが大変なのに、移動時間がメインのような日々に嫌気がさしていた。
そんな時、優しい先輩が本を読めば楽に通学できるよと教えてくれた。試しにやってみたが、車酔いをすぐしてしまう体質の私は5分でギブアップ。もしものためにと同年代より早めに持たせてもらった携帯の画面も小さすぎて酔ってしまう私は、バスの中で何かすることを諦めた。

誕生日に買ってもらったiPodで、好きな音楽を聴きながら往復3時間。外の景色を見ながらひたすらぼーっとする。中学生になり、多感な時期を迎え悩みが尽きなかったので、ぼーっと考えごとにふけるための事柄は尽きることがなかった。
気がつけば乗り換えもいつの間にか終わって、家の鍵を開けていて驚いたこともあった。
それくらい私はこの移動の時間、ひたすらぼーっとしていた。
周りの目を気にせず、何にもとらわれず、自分の気持ちを整理できる時間。
それは私にとってかけがえのないものになっていた。

いじめられて学校にいる間、一言も話せず終わった日。
理不尽に怒られたのに何もできずに悔しかった日。
親と衝突してどうしても家に帰りたくなかった日。
どんな日でも、バスはゆっくり私を目的地まで運んでいく。
孤独に打ちひしがれそうな時、周りを見れば、同じような学生や読書をする社会人、子供をなだめている母親などが目にはいって、なぜだかほっとする。
携帯などでほかのことができず、ただひたすらに自分と向き合う時間。気がつけば私にとって大切な時間に変わっていた。

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それはいまでも変わらない。あれから携帯がガラケーからiPhoneに変わり、画面が大きくなったことで車酔いしなくなった。
だけど移動中、私は携帯の画面を落とす。お気に入りの音楽を聴きながらただひたすらぼーっとする。そうすると忙しい日々でザワザワとしていた心が落ち着いてくる。

社会人になると、あの頃に比べて、何もしない時間が少なくなっている気がする。休日も何かに急かされるように予定を入れて、何かしていないと不安になる。
少し時間があくと、無意識に探してしまうiPhone。いつどんな時でも暇を潰せるものがあるからこそ何もしないという時間が無くなり、自分の心の中を整理する時間が無くなった。便利にはなったけど、心の中はゴールのないマラソンのように疲弊してしまう。
だからこそ、ぱたっと立ち止まり、頭の中を1度クリアにする。自分と向き合ってみる。この移動中の時間だけは誰にも邪魔されたくないと思う。